岩崎貞明/放送レポート編集長/2006年7月26日放送 テレビ朝日系『報道ステーション』/「スクープ 昭和天皇が戦後すぐ”戦争放棄”を表明」 /06/08/01
報道ステーションが、「宮内庁の未発表資料のスクープ」として、昭和天皇の外国人記者との面会記録による昭和天皇の発言について、15分くらいの特集を組んで報じた。終戦直後の1945年9月25日に、昭和天皇が「ニューヨーク・タイムス」のフランク・クルックホーン記者とUP通信社のヒュー・ベイリー社長と会見したというものだ。質疑は事前提出の文書によってなされ、回答も文書で行われた。
そのなかで、クルックホーン記者の「最新の武器が将来の戦争をなくすことになるのでは?」との質問に、昭和天皇は「…武器を使うことで恒久の平和が確立され維持されるとは思えない。平和の問題を解決するには、勝者も敗者も軍事力に頼らず、自由な諸国民の協調によって達成されるであろう」と答えたというのだ。
この回答の作成には吉田茂や幣原喜重郎といった、平和憲法制定に日本側で尽力した人々が関与していたもようであるが、この回答は当時の「ニューヨーク・タイムス」のトップを飾り、それが日本でも報道された。しかし、この会見の2日後に行われた昭和天皇とマッカーサー元帥との面会報道の衝撃が大きく(日本政府は一時2人が並んだ写真を掲載した新聞を発行停止にしようとした)、日本ではほとんど人々の記憶に残らなかった。
いわゆる”アメリカの押し付け憲法”論に対する反証として、意味のある報道だろう。日本国憲法制定論議が始まる以前から、「戦争放棄」の思想が日本側に確固として存在していた証明になるものである。宮内庁の内部資料を公開させたことも有意義だ。
しかし、気になるのは、昭和天皇の意見がことさらに強調される傾向である。さきに日本経済新聞がスクープとして報じた「A級戦犯合祀に昭和天皇が不快感を示し、以後天皇は靖国参拝をとりやめた」とする富田元宮内庁長官メモについても、同じことが言える。首相の靖国公式参拝を推進する側にとって打撃、とする報道が見られたが、これは2つの問題を含んでいると思う。ひとつは、昭和天皇の発言を現在の政治的な主張に重ね合わせて意味づけることは、「天皇の政治利用」という、日本国憲法が禁じている行為をメディアが推進してしまうこと。もうひとつは、「昭和天皇は平和主義者だった」という人物像を印象付けることによって、いまだに明確化されていない昭和天皇の戦争責任に関する問題を、よりいっそうあいまいにさせる効果をもたらすことである。
天皇の発言によりかかるようにして憲法や平和の問題を議論することは、多くの国民にこの問題を親しませる一方(日経報道後の朝日新聞などの世論調査の結果が物語っている)、天皇発言を今後ともことさらに重視する姿勢をメディアがとってしまう危険性をはらんでいる。テレビがこうした問題にチャレンジするのは賞賛したいが、どのメディアも天皇発言重視では、日本はいまだに「天皇を中心とした神の国」(by森喜朗元首相)を脱却できないのではないだろうか。