岩崎貞明/放送レポート編集長/NHKへの「命令放送」に反対する /06/11/01
菅義偉総務相は10月24日、NHKの短波ラジオによる国際放送で、「拉致問題」を重
点的に取り上げるよう(「拉致問題についての留意」を求める)NHKに対して命令を
発することの是非を、11月8日に予定されている電波監理審議会に諮問する方針を明
らかにした。
NHKへの命令、というのはあまり聞き慣れないが、放送法33条および35条の規定
で、政府がNHKの海外向け国際放送に命令を出すことができる、とするもので、例
年4月に「時事」「国の重要な施策」「国際問題に関する政府の見解」の三点につい
てNHKに命令書が交付されている。また、この費用は国の負担によると規定され、
今年度の国の負担は22億5600万円にのぼっている。
もともと、政府が放送の内容に直接干渉するこの放送法の規定自体が、憲法21条が
保障する「表現の自由」を侵害するものと思われるが、そのためか、これまで政府の
命令内容は上記のような抽象的な表現に留まっており、また命令交付に際しては、形
式的ながらも一応は電波監理審議会の諮問・答申を経て行うことになっている。政府
としても、あまりにストレートに放送内容を指示するようなことは、表現の自由の観
点からなるべく避けようという意識があったことは確かだ。
それが、今回は北朝鮮による拉致問題という、実にデリケートな国際問題につい
て、政府の見解を諸外国に向かって宣伝するような放送をしろ、とNHKに命令する
というのだ。
命令放送は政府の交付金が出ているとはいえ、それでは賄いきれないので受信料から
も支出されている。そして、予算的には命令放送も自主放送も渾然一体となって制作
・放送されているのが実態だ。もし今回の命令が強行されれば、NHKの国際放送は
日本政府のプロパガンダの道具だという認識が諸外国に広まり、NHKの国際的な信
用が地に落ちることが予想される。いまどき、このように露骨な国策宣伝放送を行っ
ているのは、他にはそれこそ北朝鮮の朝鮮中央通信ぐらいではないだろうか。
さらに、菅総務相はテレビの国際放送についても、07年度政府予算の概算要求で3億
円を盛り込んだうえで、今後は総務大臣が指定する内容の放送を命令できるとの認識
を国会答弁で明らかにしている。これまで国際放送における命令放送が短波ラジオに
限定されていたのは、技術的な問題もあったが、ラジオには自由放送の原則が国際的
に認められている一方、映像をともなった放送にはそのような合意がまだできていな
いことにあった。そこへ、テレビの国際放送にまで今回のような命令放送が実現すれ
ば、NHKの信頼どころか、ポップカルチャーの分野などで注目を集める日本の放送
コンテンツ全体も、急激に色褪せたものとして諸外国の視聴者に映ることも憂慮され
る。政府はいま、映像国際放送の発信強化を検討しているが、命令放送の実施は日本
の放送文化にとって取り返しのつかない損失を招き、政府の意図とうらはらな結果を
見ることになるだろう。
この政府の「映像国際放送の強化」も、アニメやゲームなどの映像コンテンツの発信
強化というより、国策宣伝の充実を狙ったものと見られる。今年6月の通信・放送分
野における「政府与党合意」のなかで、民放などにも出資させてNHKに新たに子会
社を作り、そこを軸に映像の国際放送を「強化」して発信していく方針が明記されて
いる。今回のNHKへの命令は、この子会社ができるまでの「つなぎ」であること
は、総務省も認めている。
政府の露骨な放送への介入が許せないのはもちろんだが、NHKの煮え切らない態度
にも憤りをおぼえる。この間、NHKは「国際放送の中で拉致問題も取り上げてい
る」などという説明はあっても、総務省からの新たな命令交付については一言もNO
を言っていない。今回、研究者やジャーナリスト11人が連名で「NHKに対する国
際放送命令に反対する緊急アピール」を10月30日に発表した(筆者も末席に加えてい
ただいた)が、NHKはわれわれの申し入れ要請に対して「わざわざお越しいただか
なくても結構です」と丁重に断ってきた。総務省は衛星放送課の課長補佐が15分ほど
応対したにもかかわらず、だ。申し入れを行ったメンバーの一人は「NHKの対応は
役所以下だ」と怒っていたが、本来放送の自由を守る立場からNHKに激励のエール
を送る趣旨で申し入れを行おうとこちらの意図をどのように受け止めたのか、外部の
声を聞こうとしないNHKの態度は、受信料で成り立つ公共放送としてはあるまじき
姿ではないか。
上記のアピールは、メディア総合研究所で賛同署名の集約中だ。賛同される方は是
非、mail@mediasoken.orgまで署名をお寄せいただきたい。アピールは以下の通り。
菅義偉総務相は、今月24日、NHK短波ラジオ国際放送で拉致問題を重点的に取り
上げるよう(「拉致問題についての留意」を求める)命令を発することの是非を11月8
日に予定されている電波監理審議会に諮問する方針を明らかにした。この放送命令の
企ては、憲法の表現・報道の自由や放送法の番組編集の自由を根底から脅かす危険が
あり、看過することができない。
確かに、放送法には総務相がNHKに対して放送事項等を指定して国際放送を命じ
ることができ、その費用は国の負担による旨の規定(33条、35条)がある。この規定の
もとで毎年、「時事」「国の重要な施策」「国際問題に関する政府の見解」の三点の
放送について命令がなされ、今年度の国の負担は22億5600万円にのぼっている。
だが、今回の放送命令の試みは、従来の抽象的な大枠の提示を超えて、北朝鮮によ
る拉致問題という個別具体的な政策課題を特定して放送を命ずる点で、また今年3月
末、今年度の命令書の交付に際し、「テロ」「自然災害」とともに「拉致」につき重
点的に扱ってほしい旨の口頭の要請が既に総務省によりなされたことがあるが、今回
は単なる要請ではなく正式の命令という形をとる点でも、政府による放送介入の新た
な次元を示すものだ。
総務相は、表現・報道の自由は守らなければならないし、放送内容まで踏み込むも
のではない旨弁解しているが、今回企図されているような個別具体的な政策課題の放
送が時の政府により命じられるということになれば、政府の放送介入という性格は
いっそう鮮明となり、憲法が保障する表現・報道の自由(21条)の根本原則に反し、こ
れを具体化した放送法の放送の自由(1条)、番組編集の自由(3条)などの基本原則を侵
害することは明白である。また、憲法の表現の自由条項にあからさまに背く放送命令
を企てることは、国務大臣の憲法尊重擁護義務(99条)に反し、大臣としての適格性が
疑われるとともに、任命権者としての首相の責任も問われて然るべきである。放送命
令が強行されるような事態になれば、放送の自由と自立を旨とすべき公共放送として
のNHKは、政府のプロパガンダを担う国策遂行の手段と堕し、実質的な国営放送へ
の道に向かいかねない。そうなると、NHKは日本政府と直結した国策放送局として
国際的にも認知されることとなり、独立・自由な放送を自認してきたNHKの信用を
損ねる重大性は軽視すべきではない。
放送の自由や自立など憲法・放送法の民主的な放送制度の理念から考えると、現行
の一般的、抽象的な放送命令の慣行さえ、自主編成の国際放送との区別がなされてお
らず、政府広報が自主的な番組編集を侵食しているなど重大な問題を抱えている。よ
り本質的には、そもそも大枠の提示とはいえ時の政府が国費により一定の放送を命じ
るという仕組み自体が憲法・放送法の原則に背馳するものであって、この機会に批判
的に見直すことこそが必要だと私たちは考える。
さらに注意を喚起したいことは、この放送命令の企ては、NHKのラジオ短波放送
だけにとどまる問題ではないということである。総務省はNHKのテレビ国際放送に
ついても来年度予算案に3億円の費用を盛り込み、放送命令の対象を広げようとして
いるし、さらに総務省は6月の政府与党合意を受けて、映像による国際放送強化のた
めに民放からの参加も求めNHK子会社を新たに設置する方向で検討委員会等を通し
て準備を進めており、この設立までの経過措置としてNHKテレビ国際放送に対する
命令放送が位置づけられている。菅総務相は、拉致問題の関係で、北朝鮮向け短波ラ
ジオ「しおかぜ」のため、NHKの施設活用等の支援策に乗り出すことも表明してい
る。このように、今回の放送命令問題の射程は、NHKのラジオ短波放送に限られ
ず、NHKのテレビ国際放送にも広げられ、また拉致問題支援策としての短波ラジオ
のためのNHK施設活用とも密接に関わり、さらには民放も加わった新たな国際放送
組織の設置という形で放送界全体にまで及ぶものである。
有事法制により放送局は指定公共機関として政府の有事体制に組み込まれ、警報や
避難の指示等政府が求める事項の放送を既に義務づけられている。これに加え、拉致
問題等政府が求める特定の政策の放送がNHKのラジオやテレビに命じられ、さらに
は対外プロパガンダの国策国際放送組織が国のサポートのもとNHKや民放により設
立されるとしたら、この国の放送の自由と自立、そして放送ジャーナリズムの前途に
重大な困難をもたらすことになる。
私たちは、以上のような理由から、今回企てられようとしている放送命令に断固と
して反対するとともに、以下のように申し入れるものである。
(1) 総務大臣は電波監理審議会への諮問を取りやめることを含め、今回の放送命令
実施の方針を撤回すること。
(2) 電波監理審議会は、以上の件につき、かりに諮問がなされた場合でも、事案を
慎重に吟味し、今回の放送命令を認めないよう答申すること。
(3) NHKは、万が一今回の放送命令が発せられてもこれを安易に受け入れ、従う
ことをせず、国際放送について自主編集を徹底して貫き、拉致問題等につき公正な放
送に努めること。
(4) 総務大臣は、放送命令をNHKテレビ国際放送にまで広げる方針を撤回するこ
と。
(5) 現行の放送命令をめぐって、次の措置を取るよう求める。
@総務大臣は当面、この制度の活用を可能な限り自制、回避し、援用しないようにす
ること。
A国会は、放送の自主、自立と相容れない放送命令の条項を廃止するよう放送法を改
正すること。
BNHKは、自主編集放送と命令放送との区別を明確にするとともに、最終的には一
切の放送命令を受け入れることなく、国際放送をすべて自主的に編集するよう目指す
こと。
(6) 総務大臣は、放送界を巻き込む国策的なプロパガンダ国際放送組織の立ち上げ
は断念すること。また、NHK施設活用等の「しおかぜ」支援策についても白紙撤回
すること。
2006年10月30日
梓澤和幸 石川 明 岩崎貞明 桂 敬一 醍醐 聰 田島泰彦
津田正夫 野中章弘 服部孝章 原 寿雄 松田 浩