河野慎二/テレビウオッチ10/ 「国民投票法案」はカネの力で改憲に道を開く、テレビは問題点を解明する番組を制作してほしい /06/12/15


「国民投票法案」はカネの力で改憲に道を開く
   テレビは問題点を解明する番組を制作してほしい

 民放九条の会が結成されて1周年を記念するイベント「『私と日本国憲法』を語る集い」が12月9日、東京・大塚で開かれた。折悪しくこの日は冷たい雨が降りしきり、この冬一番の寒さだったが、会員など40名が出席し、特別ゲストとして迎えたテレビプロデューサー長嶋甲兵氏の作品をビデオで見た後、憲法について語りあった。
 長嶋氏が制作した作品は「NONFIXシリーズ日本国憲法〜国民的合宿」という約1時間のドキュメンタリー番組で、2005年3月にフジテレビで放送され、ATP賞ドキュメンタリー優秀賞を受賞した。長嶋プロデューサーは、さまざまな圧力があったが、とにかくこの作品を世に送り出し視聴者に見てもらうこと重要と考え、知恵と工夫を凝らして番組のオンエアにこぎつけたことを、淡々と語った。憲法改正を最重要課題とする安倍政権が登場したいま、もっと多くのテレビ局の記者やプロデューサーに見てもらいたい作品である。

■「NONFIX日本国憲法〜国民的合宿」の新鮮なインパクト 

 番組をイメージしてもらうために、長嶋氏の作品をトレースしてみる。
番組は、タイトルの「日本国憲法〜国民的合宿」が示すとおり、憲法9条を中心に改正意見と改正反対意見の国民が3人ずつ、1泊2日の「合宿討論」を重ねる姿をカメラとマイクで追ったドキュメンタリーである。「国民的合宿」は2005年1月に行われ、新橋や新宿で呼びかけに応じた6人が参加した。
 憲法改正賛成派は、「改憲で普通の国に」と考えるサラリーマン(39歳、男性)と元教師(72歳、男性)、元陸上自衛隊員(35歳、男性)の3人。改憲反対グループは、フリーター(26歳、女性)、主婦(55歳)、フリーライター(32歳、女性)の3人。改憲、護憲が男女3人に分かれた。この6人に、ナビゲーター役の大学教授が2人加わる。改憲を代表して小林節慶応大学教授と、護憲を主張する水島朝穂早稲田大学教授である、
 第1セッションは「なぜ、いま、憲法を改正するのか」。第2セッションは憲法9条に絞って議論する。番組は、小林、水島両教授が改憲、護憲で論戦を交わす第1セッションで幕を開ける。小林教授は「60年間、同じクルマに乗っていると、不具合が出てくる。より使い勝手のいいものに変える」と、改憲派の論客にしてはやたら軽いノリの発言。水島教授は「憲法は本来、国民が権力者を縛るもの。国際的にも非軍事で貧困救済、平和確立を目指す流れだ。今9条を変える必要はない」と応戦する。
 「いま、憲法を改正する必要があるか」を挙手で“中間採決”すると、護憲の1人が改憲に回り、改憲4、護憲2となった。
 第2セッションでは教授たちは聞き役に回り、6人の議論に焦点が移る。「北朝鮮になめられている」「北より怖いのは中国だ」「だから自衛隊を強化しなければ」と改憲派。声高に改憲を唱える自民党の主張とウリふたつだ。メディアが連日のように「北の脅威」を煽り立てるから、浸透も早いのだろう。
 これに対し改憲反対派は「どんな戦争も自衛を名目に始まる。憲法を現実に合わせるのではなく、憲法にフィットさせる現実をどう作っていくか」などと反論する。ブッシュ米大統領のイラク侵略戦争で、世界は大混乱に陥っている。世界の危機を食い止めるためにも「戦争の放棄」と「戦力の不保持」を定めた日本国憲法の出番である。ブッシュの尻馬に乗ってアメリカと一緒に戦争をする国に変えるため改憲しようというのではなく、むしろ今こそ憲法9条を大きく掲げて世界の平和に貢献しようとするのが、日本のあるべき姿じゃないのか。番組で改憲反対派は控えめに発言していたが、志は伝わってくる。
 議論は深夜まで続くが、平行線をたどる。「護憲派を取り込もうとしたが…」と肩を落とす改憲派サラリーマン。“中間採決”では「改憲」に挙手したフリーターの女性も「最初はフラフラしたが、今はやっぱり改正はNO」とスッキリした表情だ。ヘンリー・フォンダ主演の名作「12人の怒れる男」を思わせる展開である。
 合宿2日目は1対1のサシの討論で議論を深める。その過程で改憲派の元教師は「憲法を変えるというのは大変な問題。それだけにもっと時間をかけて議論することが必要」と発言する。「戦前は鬼畜米英。それが戦争に負けるとアメリカ一辺倒。変わり身が早すぎるな」と“戦中派”の本音もポロリ。
 「これまで自衛隊を“ザル運用”してきた政治家が憲法改正案(注・2004年10月の自民党改憲案)を出してきた。とても信用できない。軍隊を持たないとした憲法は、確かに突き抜けた、ラジカルな憲法だが、だからといって、今ここで憲法を変える必要はない」と女性フリーライター。
 「日本国憲法〜国民的合宿」は「今回、全員一致の結論として、改憲案に対し態度を保留する。政治家の行動を監視する手段が重要。国民一人ひとりが議論する必要がある」とのまとめで番組を終えた。
ビデオ上映後の講演で長嶋プロデューサーは、「日本の戦前、戦後史のリアリティを最も端的に残しているのは、憲法だけじゃないか」と指摘し、「メディアはもっと憲法を読むべきだ」と強調した。番組の中で水島教授が言及した「憲法は本来、国民が権力者を縛るもの」という原則についても、そのことを理解しない報道局の幹部がテレビ局に存在する現実に、長嶋氏は驚きの色を隠さなかった。
 放送の現状を見ると、長嶋氏の「国民的合宿」のような番組は、改憲の動きが急ピッチで高まっているにも拘らず、ほとんど制作されていない。放送後1年半以上経過したビデオ上映が出席者に新鮮なインパクトを与えたことは、逆にテレビジャーナリズムの衰退と貧困を浮き彫りにしている。

■カネで改憲へマインドコントロール

「今回、意見広告を認めないこともひとつの選択肢」と天野祐吉さん
 自民・公明両党は11日、改憲手続きを定める「国民投票法案」の今国会採決の見送りを決めた。もちろん、これで安心というわけではない。民主党は、改憲という点では自民党と同じ土俵に上っている。衆議院憲法調査特別委員会で審議を重ね、参考人聴取も済ませている。メディアがほとんど報道しないから、何がどう進んでいるかさっぱり分からないが、来年の通常国会での採決を読み込んだ上での、余裕の先送りである。
 だが、中身が大問題だ。民主党は水面下で自民党と法案修正を進めているが、このまま成立させたらとんでもないことになる。端的に言えば、金の力で憲法の行方を決めることができるというのがこの「国民投票法案」の核心だ。国の背骨(バックボーン)である憲法をマネーで買い占めることができる?そんな国際的にも通用しない法案が、次期通常国会で簡単に成立してしまうのか?それでは日本の恥じゃないのか?
 とにかく「恥」の最たるものは、テレビと新聞を対象にした無料の政党広告と、テレビコマーシャルを完全フリーにするという内容である。テレビのスポット広告を野放しにするということは、金をふんだんに持っている政党を圧倒的優位に立たせることを、法律で認めるということだ。
 日本経団連は11日、将来構想「希望の国・日本」原案を発表した。その中で、自衛隊保持の明確化と集団的自衛権の明記を求めた憲法改正案を打ち出している。経団連に加盟する巨大企業は、自民党に数千万円単位で政治献金をしており、自民党がそのビッグマネーを改憲のテレビスポットにぶち込み、新聞紙面を買い占めることは目に見えている。テレビで連日、大量の改憲スポット広告が集中豪雨のように流されれば、たちまちマインドコントロールされる。「小泉劇場」を盛り上げたテレビが、自民党圧勝の片棒を担いだ2005年9月の総選挙が思い返される。
 無料の政党広告にも重大な問題がある。「国民投票法案」が成立すれば、議席数に比例してテレビCMの時間や新聞の紙面が割り当てられる。現在の議席数では改憲に反対する共産党や社民党の議席はわずかだから、例えば100分の政府提供でスポット広告を行う場合、改憲派は95分、反対派は5分という試算が出ている。新聞広告でも、反対派の意見広告は片隅に追いやられていまうだろう。
 憲法改正についての世論調査を見ると、特に9条については6割以上が反対と答えている。つまり国民は改憲については慎重に対応すべきだという意志を示しているのだ。
 国民投票法案はこうした国民の意思に逆行する。国会議員の議席数だけで国の基本法の行方を事実上決定づけてしまおうとする手法は、少なくとも民主主義と相容れない。
 今年6月、コラムニストの天野祐吉さんが衆議院憲法調査特別委員会に参考人として出席し「国民投票法案」について意見を述べた。天野さんは「仮の場合で極端な例」と断った上で「SMAPを起用した意見広告」を例示し「そういう広告が非常に大きな混乱を招くんじゃないか」と懸念を示した。そして「広告は一般の報道とは違って、一方的に意見をお金で買える」「広告を悪用すればマインドコントロールの非常に強力な手段になる」と広告の特性を指摘。「意見広告はまだ未成熟で、テレビ媒体になじまないから、今回は意見広告は認めないこともひとつの選択肢としてある」と陳述した。天野さんは同時に「公平性が失われないような共通のルール」を作るよう訴えている。

 テレビの報道局長やプロデューサーは今こそ、この「国民投票法案」に目を向けるべきではないのか。長嶋氏が「国民的合宿」を制作したように、「国民投票法案」についても修正のやり取りを伝えるだけに終わるのではなく、その成立がこの国の民主主義に及ぼす深刻な影響などにメスを入れた番組を制作し、視聴者に届けてほしいのである。