河野慎二/元日本テレビ社会部長・ジャーナリスト/テレビウオッチ(43)メディアは安保改定50年をどう報道したか基地県3紙合同連載企画とETV特集に注目10/10/29
メディアは安保改定50年をどう報道したか
基地県3紙合同連載企画とETV特集に注目
1960年に日米安全保障条約が改定されて、 今年で50年になった。 自民党を中心とする戦後日本の歴代政権はこの安保条約を軸に、 外交、 防衛に留まらず、 経済、 財政に至るまで、 事実上米国の言いなりで国家運営を進めてきた。
その対米従属政策の矛盾が爆発寸前の極限状態で集中しているのが、 沖縄の在日米軍普天間基地問題である。 2004年に米軍ヘリが墜落した沖縄国際大学の富川盛武学長は5月の鳩山首相 (当時) との対話集会で 「県民の総意を斟酌しなければ、 怒りのマグマは噴出する」 と警告し、 普天間基地の即時閉鎖を求めている。
節目の年に、 メディアは普天間問題や安保問題をどう伝えているか。
市民の二つの発言を紹介しよう。 一つは、 普天間爆音訴訟控訴審判決があった7月29日、 島田善次原告団団長が記者会見で行った発言である。 島田団長は 「鳩山さんが『県外』と言った後、 日米同盟が破綻すると朝日新聞はじめ各新聞が騒ぎ出した。 沖縄の現実をもっときちんと報道してほしい。 安保が必要、 抑止力が必要というのなら、 まず自分のところに持っていきなさい」 と大手紙の記者を一喝したのである。
この発言は、 朝日の後藤啓文記者が9月12日の紙面に 「ヤマトよ偽善だ 痛み伝えぬ本土メディア」 等の見出しで報じた記事の再録である。 ニュースソースの当事者がメディアを名指しで非難するのは異例のことだ。 後藤記者は 「(島田さんが) 会見で、 居並ぶ記者にまくし立てた」 と伝えている。 つまり、 普天間問題を巡る本土メディアの報道に対する島田さんの怒りが限界に達し、 爆発したと見るべきだろう。
もう一つは、 神奈川県相模原市で40年間、 米軍相模補給廠を監視してきた沢田政司さんの発言だ。 沢田さんは、 沖縄タイムス、 長崎新聞、 神奈川新聞の基地県3紙合同連載 (4月27日) で、 「このままでは、 100年たっても基地の町であり続けるのではないか」 と危機感を募らせている。 米軍が我が物顔で市を “野戦病院” と化し、 市民の権利を蹂躙した米軍統合衛生演習 「メデックス2000」 の体験を踏まえての発言だ。
島田さんや沢田さんに限らず、 普天間問題や日米安保を巡る大手メディアの報道には、 批判の声が高まるばかりだ。 菅政権が、 辺野古に新基地を建設する日米共同声明を鳩山前政権からそのまま引き継いだ背景に、 「日米同盟が危うい」 「海兵隊の抑止力は必要」 と煽り立てた大手メディア報道のあと押しがあったことは間違いない。
■ 「安保とは何か、 基地で何が起きているか」
沖縄タイムス、 神奈川新聞記者が実態報告、 討議
神奈川県の 「九条かながわの会」 が10月9、 10の両日、 「やっぱ 9条 in ヨコスカ~基地の街で平和を考える~」 を開催した。 集会には、 約1,600人の会員や市民が参加し、 作家で九条の会呼びかけ人の沢地久枝さんと詩人のアーサー ・ ビナードさんの講演を聴き、 軍港視察や分科会討議に参加した。
分科会の一つとして、 「メディアは基地をどう伝えているか~基地報道と九条~」 が開催された。 この分科会は、 在日米軍基地を抱える沖縄、 長崎、 神奈川3県の県紙が今年1月から6月まで連載した合同企画 「安保改定50年 米軍基地の現場から」 について、 企画を担当した記者が基地や九条、 安保をどう捉えるべきかを議論したものである。
この基地県3紙合同企画は、 「基地と向き合う」 「経済」 「地位協定」 「同盟変容」 「変わる自衛隊」 など、 84本の特集記事をほぼ2日に1回のペースで連載したものだ。 沖縄 ・ 普天間基地問題が全国的にも注目される中で、 地域ごとに分断化され、 押しつけられた基地問題が、 実は 「同根の痛み」 であることをリポートした、 画期的な企画である。
分科会では、 パネラーの田口雅士 ・ 沖縄タイムス東京支社長が 「日米安保問題は、 憲法9条もそうだが、 あたかも空気のように、 水のように、 あって当たり前のようなところがある。 安保とは、 自衛隊とは、 基地とは、 多分に自分とは関係ないと考えがちだが、 それでいいのか。 安保改定50年を契機に、 日米安保とは何かを問いかける。 基地で何が起きているかをあぶり出すことを試みた」 と、 3紙合同連載の企画意図を語った。
中村卓司 ・ 神奈川新聞社編集局次長は 「基地問題は人権問題でもある。 政府は、 基地問題に地方は口を出すなと言い、 地方に分断化してきた。 地方紙3紙が一体の問題として取り上げることで、 政府が日本全体の問題ととらえ直す。 地域の声を広域化する。 公平、 公正な社会を目指す」 とコンセプトを明らかにした。
■ 「安保とは何か、 検証報道こそニュース価値がある」
上から目線の大手メディア報道に批判と注文
3紙の84本の連載を通読すると、 大手紙やテレビなど全国メディアが伝えない、 在日米軍の実態がよく分かる。 そして、 神奈川や長崎をはじめ、 特に沖縄に米軍基地が集中する根拠となっている日米安保条約の本質があぶり出される。
3紙合同企画 「同盟変容」 では、 在日米軍の行動範囲が名実ともに 「世界規模」 に拡大している実態が明らかにされる。 97年の新しい 「日米防衛協力の指針」 (新ガイドライン) は旧指針の行動範囲 「極東」 を 「アジア太平洋地域」 に置き換えたが、 翌98年には在沖米海兵隊員2千人がペルシャ湾に派遣された。 新ガイドラインの行動範囲は、 いとも簡単に 「世界規模」 にエスカレートした。
行動範囲の 「世界規模」 化と日米軍事一体化は、 1994年にクリントン米大統領が細川首相 (いずれも当時) に対し、 北朝鮮の核開発疑惑を理由に、 日本の軍事的協力を迫ったことから始まった。 当時の官房副長官、 石原信雄は 「安保再定義、 ガイドライン見直しなど、 全てのスタートラインになった」 と証言する。
60年の安保条約改定にも匹敵する日米交渉は、 国会にも報告しないまま、 官邸、 外務、 防衛官僚と米政府当局者との間で秘密裏に行われた。
95年の米兵による少女暴行事件は、 沖縄県民の怒りを爆発させ、 日米同盟の根幹を揺るがす事態となった。 だが、 日本政府はこの事件を県民の意思に沿って解決するのではなく、 日米同盟をさらに強化する方向へ動く。
陸上自衛隊と米海兵隊との共同訓練が定例化し、 陸自の “海兵隊化” が進んだ。 海兵隊は 「上陸侵攻」 で最も力を発揮する。 専守防衛の国の自衛隊にはそぐわない。 憲法にも違反する。 しかし、 そんなことはお構いなしだ。 日米軍事一体化は限りなく進む。
分科会では、 メディアの基地問題報道に論議が進んだ。 沖縄タイムスの田口さんは 「普天間爆音訴訟の原告団長は 『(本土メディアは) 司法より性質が悪い。 読むに堪えない』 と酷評した。 その時、 原告団から一番大きな拍手が起こった」 と紹介。 「大手メディアは問題の本質を論じていない。 日米安保、 在日米軍再編、 日米同盟、 抑止力等々、 上から目線で述べ立てている」 と批判した。
神奈川新聞の中村さんも 「自戒をこめて発言する。 大手メディアは、 基地問題を大所高所から論じているが、 日米安保についても、 抑止力についても、 安保とは何?抑止力とは何? と検証することにニュース価値を持つべきだ」 と持論を展開。 「単にニュースを書き飛ばすのではなく、 現場にこだわり、 地域を重視すること、 他人の痛みを想像できる姿勢を持つことが大事だ」 と強調し、 大手メディアに注文をつけた。
最後に田口さんが、 95年の県民大会以来、 節目のタイミングで開かれている大会について、 「菅政権や大手メディア、 基地のない県の皆さん、 いつまで沖縄のおじい、 おばあや幼な子にこうした大会を強いるのか。 彼らに何と言って、 日米安保が大事だからよろしくと、 どの面下げて言えるのか」 と発言。 「沖縄が、 地元メディアが、 この怒りを伝えなければ誰が伝えるのかという気持ちで報道していきたい」 と締めくくった。
■ 「日本全土を米軍が自由に基地化する計画」 が発端
ETV特集、 日米安保条約の根源的意味合いを特集
テレビも、 安保改定50年を番組で取り上げようとしないという点では、 大手新聞と五十歩百歩だった。 その中で、 NHK教育テレビが8月から9月にかけて、 「ETV特集」 (4回シリーズ) で 「安保とその時代」 として特集したのが目を引いた。
ETV特集 「安保とその時代」 は 「日米安全保障条約。 安保は戦後日本の、 そして日本人のあり方をも決定づけて来ました。 時代の節目で、 安保とどう向き合ってきたのか。 安保とその時代を、 4回シリーズで描きます」 というコンセプトで制作されている。
第1回の 「日米安保を生んだ冷戦」 (8月1日) では、 「米軍による日本全土の基地化計画」 が日米安保条約のそもそもの始まりだったことを明らかにする。 米ソ冷戦が激化した1950年、 米大統領特使ダレスが来日し、 占領軍司令官のマッカーサーに 「日本を米国の軍事同盟国にするという米本国政府の計画を伝えた」 。 計画の基本は 「日本の国土全体を米軍が制約なしに自由に使える潜在的基地とする」 というものだった。
1951年9月、 吉田茂が日米安保条約に調印。 ETV特集はマイケル ・ シャラ― ・ アリゾナ大教授の証言を通じて、 「日米安保は、 日本を米国に従属させるものだった。 基地に関する権限が、 アメリカに無制限に与えられていた。 いかなる問題についても、 アメリカは日本と協議する必要はなく、 条約そのものには期限がなく、 つまり永久的に (米国の自由) ということ」 と、 日米安保の根源的な意味合いを明らかにする。
日本は、 「米国の軍事力を後ろ盾に復興の道を歩むことになる。 しかし、 アジアとの溝を生むことになった」。 ナレーションが続ける。 「安保条約で米軍は日本に駐留し続ける。 基地は700を超えた。 安保条約は不平等という声、 改定に向けた動きが強まる。 この安保改定を巡って、 日本社会は大きく揺れ動くことになる」。
ETV特集第2回 「“改定” への道のり」 には、 今日の普天間基地返還闘争が学ぶべき教訓が盛り込まれている。 特集前半では、 1953年に起きた 「内灘闘争」 に多くの時間を割いている。 当時の激しい反対闘争が白黒のニュースフィルムで再現される。
安保条約で日本の国土に軍隊と軍事施設を置く権利を得た米軍は53年、 石川県内灘村の海岸を砲弾の試射場として接収した。 吉田内閣は6月、 当初の期限付き接収の方針を覆して永久接収を決定。 村民の怒りに火をつけ、 内灘闘争は、 基地反対闘争としては初めての全国的な反対運動に拡大した。
住民の要求は 「試射場反対」 にとどまらず、 サンフランシスコ講和条約と日米安保条約に反対し、 日米行政協定 (現在の日米地位協定の前身) にも反対していた。 住民の粘り強い運動が実を結び、 土地は3年後に返還された。 「内灘の人たちは、 永久接収によって得られる収入より、 軍事施設のない村を選んだ」。 「内灘闘争とその勝利は、 全国に大きな影響を与えた。 各地で基地反対闘争が起こった」。
ETV特集は1955年の東京 ・ 砂川闘争と、 57年の群馬 ・ 相馬が原で薬きょうを拾いに来た日本人女性を射殺したジラード事件を取り上げる。 二つの事件で、 日本での米軍基地への反発、 反基地感情は大きく高まった。
57年2月政権に就いた岸信介は6月に訪米、 ダレスに安保条約改定を打診する。 岸は会見で 「日本の未来は、 アメリカとの緊密な協力の中にのみ存在する」 と述べ、 鬼畜米英を叫んだ戦前とは180度異なる親米従属路線を宣言する。 米政府は 「岸を支持することが極めて重要」 と判断、 58年10月に安保条約改定交渉が始まった。
ETV特集は、 岸の改定交渉を批判した丸山真男や中野好夫、 都留重人らの動きを取り上げる。 丸山らは 「安保再検討において、 わが国の自主性を打ち立てる道は、 改定による軍事同盟の合理化ではなく、 安保体制そのもの、 即ち、 軍事的、 政治的な対米従属の解消以外にはありえない」 と批判を展開した。
中国、 ソ連を含む全面講和を主張した 「平和問題談話会」 も声明を発表する。 ETV特集は、 同談話会が声明の中で 「東西冷戦は、 今後ますます激化する宿命的な現実ではないこと、 東西両陣営における米ソ両国以外の自主性への歩み、 米ソ両国それぞれの内部変化の可能性を特に強調」 したと伝えた。 先見の明が重く迫る。
ETV特集第2回 「安保とその時代 “改定” への道のり」 は、 「その30年後、 東西冷戦が終焉を迎える。 世界の枠組みは大きく変わった。 その一方、 日米安保条約は変更されることのないまま現在に至っている」 と締めくくった。
■ 「普天間問題きっかけに日米安保に注目集まる
半世紀後の今、 安保の国民的論議に正面から向き合えるか」
ETV特集第3回は 「60年安保 市民たちの一か月」 と題し、 新安保条約に反対する全国の市民にスポットを当てた。
1960年5月、 自民党単独で新安保条約を強行採決。 抗議の声が全国で巻き起こった。 東京中野では 「100軒が店を閉めた」 。 造成されたばかりの団地でも主婦がデモに加わった。 山形では農民が、 函館では高校生が、 九州では三井三池鉱の炭鉱労働者が反対の声を上げた。 「声なき声の会」 のデモには 「島田を結った若い婦人まで参加した」。
国会周辺では、 沖縄出身の学生が安保反対のデモに加わっていた。 当時、 米施政権下にあった沖縄県民は、 本土との往来にはパスポートが必要だった。
米軍普天間基地のある沖縄県宜野湾市で、 伊佐さんが当時を振り返る。 「国会の近くまでデモ行進した。 警官に取り囲まれた時は逃げ出した。 パスポートを取り上げられると、 沖縄に帰れなくなる」。 沖縄出身の学生は、 パスポートを没収される危険を冒しながら、 安保闘争に参加していたのだ。
新安保条約自然成立4日前の6月15日、 10万人のデモ隊が国会に押し寄せた。 国会に突入した学生と警官隊が激突、 東大生樺美智子さんが警官隊の暴力で死亡した。
6月17日、 朝日、 毎日、 読売など新聞社が 「7社共同宣言」 を発表した。 「これまで安保反対運動に理解を示してきたマスコミが突如、 痛烈な批判を浴びせかけた」。 ナレーションが共同宣言を読み上げる。 「流血事件は、 そのよって来たる所以は別として、 議会制民主主義を危機に陥れ…暴力を用いてことを運ばんとすることは断じて許されない」。
ETV特集は、 メディアの歴史に大きな汚点を残した7社共同宣言については、 掘り下げた取材をしていない。 歌川令三元毎日新聞編集局長と石田雄元東大教授のインタビューで済ませている。 歌川氏は 「議会の動きを暴力で止めることは民主主義に反する。 言論の自由を保障している民主主義を踏みにじるのはいかんと表明した。 新聞の興奮した論調も段々治まった」 と共同宣言の効果を強調するだけで、 反省の姿勢は微塵もない。
6月19日、 新安保条約が自然承認。 岸は退陣し、 池田勇人が内閣を引き継ぐ。 日本全土を揺るがした安保反対運動は 「岸退陣とともに、 潮が引くように鎮まって行く」 。 50年前の強行採決は、 日本の国会に思考停止状態をもたらした。 安保が自動延長された70年以後は、 安保条約とは何かを徹底審議する努力を事実上放棄した。
ETV特集は 「今年、 普天間移設問題をきっかけに、 日米安保条約に注目が集まっている。 半世紀の間、 置き去りにされてきた安保に対する国民的な議論。 今度は正面から向き合うことが出来るのか。 市民たちの闘いから50年を経たいま、 再び私たちにつきつけられている」 とまとめて、 「60年安保 市民たちの1ヵ月」 を終わる。
■大手メディアは普天間問題の真の解決に向け
「安保と報道」 の検証を年間企画で取り組むべき
日米安保条約が改定されて50年、 大手メディアは日米安保体制を絶対視し、 日米同盟を美化、 推進する論調を展開している。 このため、 世論が高まらず、 「世界一危険な飛行場」 の普天間基地はその閉鎖が一刻の猶予も許されない状況でありながら、 逆に固定化の危険が強まっている。
経済面でも、 雇用や年金、 医療、 福祉、 教育等あらゆる面で深刻な問題が生じ、 経済社会は破綻寸前の状態に陥っている。 根源を探ると、 アメリカが日米安保体制で首根っこを押さえている日本に次々と要求を突きつけ、 それが法外なものであっても、 日本政府が唯々諾々と受け入れる構図が浮かび上がる。
NHKのETV特集 「安保とその時代」 は、 NHK自身を含むメディアに対し、 大きな課題を提起している。 それは、 1960年5月の安保条約強行採決で、 「半世紀の間、 置き去りにされてきた安保に対する国民的議論」 (第3回、 まとめのナレーション) に正面から向き合えることができるかどうかという課題である。
新ガイドラインも安保再定義も、 本来なら、 第2次、 第3次の安保改定にも等しい内容の大改定だが、 国会の無策とメディアの傍観によって、 日本は 「世界規模」 化した日米軍事体制に一層深く組み込まれている。 民主党への政権交代で、 「対等な日米関係」 にかけた期待は、 日米共同声明を引き継いだ菅政権にあっさり裏切られた。
ここで問われるのが、 大手メディアの姿勢である。 外交、 防衛に留まらず、 経済、 財政や国民生活の隅々にまで、 日米安保条約から発生した 「対米従属病」 は蔓延している。 今日、 日米安保体制を金科玉条のごとく絶対視するメディアの姿勢は、 1960年の 「7社共同宣言」 を淵源とし、 安保体制が戦後日本を統治する一翼を担っている。
ETV特集が 「7社共同宣言」 に十分な分析と総括を加えなかったのは、 現在の大手紙とテレビがこの 「宣言」 のDNAを引き継いでいることと無関係ではない。 大手メディアはこのDNAを清算し、 日本列島に蔓延する 「対米従属病」 を治療するための処方箋、 即ち安保の全体像を解明する検証記事を国民に届ける責任がある。
基地県3紙共同連載企画が格好のモデルになる。 とにかく、 日米安保体制の実態を紙面やテレビ画面で、 継続して伝えることが肝心だ。 大手紙やテレビ局の取材ネットワークをフルに活用して情報を提供すれば、 国民の安保への関心は高まる。 神奈川新聞の中村さんは横須賀の分科会で 「大手メディアは、 安保は何? と検証することにニュース価値を持つべきだ」 と強調している。
大手メディアは検証が苦手だ。 書き飛ばして、 簡単に忘れる。 集中豪雨的にカメラを繰り出して、 撮れば撮りっぱなしへの批判がしばしばだ。 それでも、 朝日が 「戦争と報道」 「昭和と報道」 で検証報道にトライした。 これを各紙、 各局は参考にして、 「安保と報道」 の検証を年間企画として取り組んでほしい。 それを通じて世論が高まれば、 普天間問題の基本的な解決につながるし、 閉塞状態にある日本経済打開のヒントを見出すことができる。