水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)北大生スパイえん罪事件 12/10/24

 

「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/

 毎日新聞のOBで大先輩の山野井孝有(やまのい たかゆき・80歳)さんが、来週24日に北海道大学を訪ねます。その理由は、戦前、スパイ容疑で逮捕・監禁された同大学の学生であった故・宮澤弘幸(みやざわ ひろゆき)さんの妹さんが所有している宮澤さんのアルバムを寄贈し、名誉回復=退学処分取り消しを要請するためです。大学側は副学長が対応してくれることになっているといいます。

 あまり知られていない事件ですが、北大では「宮澤弘幸・レーン夫妻軍機保護法違反冤罪事件」と呼んでいます。「宮澤・レーン事件」という言う人もありますが、ここでは便宜的に『北大生スパイえん罪事件』と称することにします。

 この事件はえん罪である、と弁護士の上田誠吉(うえだ せいきち、1926年-2009年)さんが告発したことによって世に知れ渡りました。上田さんは1974年から1984年まで自由法曹団団長を務め、自由と正義のためにたたかわれたお一人です。

 私はこの事件と同じ札幌で起きた「白鳥事件」の村上国治さんの救出運動に関わったとき、上田誠吉さんを知り「厳格な人」という印象を持った記憶があります。亡くなる2年ほど前だったでしょうか、この白鳥事件の運動に参加した人たちの〝同窓会〟でお会いして、同じ弁護士の松本善明さんらと酒を酌み交わしたのが最後でした。

 北海道大学もこの『北大生スパイえん罪事件』ついて調査をすすめています。ネットを通じて入手した同大学の「調査報告」をもとに、少し事件のおさらいをしてみます。1941年12月8日、あの忌まわしい戦争が始まったその日、北海道帝国大学工学部電気工学科2年の宮澤弘幸さんと、同大学の英語教師として教鞭をとっていたハロルド・メシー・レーン、ボーリン・ローランド・レーン夫妻がスパイ容疑(軍機保護法違反)で逮捕されたことに端を発します。

 宮澤さんは翌42年4月に起訴され、札幌地裁で懲役15年の判決が下り、43年6月に最高裁で確定、網走刑務所に送られました。一方のレーン夫妻も最高裁で刑が確定し、札幌大通拘置所・苗穂刑務所に服役。しかし43年9月にアメリカの「交換船」で帰米。このときは日本人捕虜とレーン夫妻が交換された、と言われています。

 宮澤さんは網走刑務所の厳しい環境の下で、栄養失調に陥り結核に罹病。終戦直前の45年6月に宮城刑務所に移送され、10月10日に釈放されたものの、病状は悪化しており47年2月に東京で死去しています。27歳でした。レーン夫妻は1951年4月に北大に復帰、再び教鞭を執り英語担当の外国人教師として活躍、札幌で亡くなっています。

 以上が事件の概略ですが、なぜ山野井孝有さんがこの事件にかかわるようになったのかを説明しなければなりません。以前、小ブログでも紹介しましたが、山野井さんは登山家の山野井泰史さんの父親です。泰史さんがまだ無名で、アメリカで活躍していたころコロラドの岩壁から滑落して、ボルダ―の病院に運ばれたとき、面倒をみてもらったのが宮澤弘幸さんの妹・秋間美江子さんだったのです。

 美江子さんは自分の兄や家族のことを理解してくれた秋間浩さんと結婚、アメリカに渡りました。ボルダ―で病院の仕事をしていたとき泰史さんが運ばれ、「日本語の分かる人」ということで知り合い、以来、父親の孝有さんとの交流が始まったといいます。私は秋間美江子さんとは、2002年に山野井泰史・妙子夫妻がギャチュンカンで遭難して生還したことが評価されて「上村直己冒険賞」を受賞しましたが、その受賞式にご一緒させていただいたことがあります。物静かなご婦人でした。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
密室協議上塗りの民自公三党首会談、沖縄の米兵暴行事件など、話題にならないんだろうねー。

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 宮澤弘幸さんとレーン夫妻の逮捕理由は、戦前の軍機保護法(ぐんきほごほう)違反でした。軍機保護法は、1899年(明治32年)に制定。軍事上の機密保護を目的としたもので、1937年(昭和12年)に改正されて対象範囲が拡大、強化されました。戦後の1945年(昭和20年)10月13日廃止されています。

 改正された法律がクセモノで、軍事機密に関する探知、収集、漏洩を処罰対象としています。しかもその対象者は軍人だけでなく一般人すべてを含み、言論・出版をはじめ、旅行・スケッチ・撮影なども制限され、違反した場合の最高刑は死刑。もちろん、言論統制にも使われました。

 共産主義を排除する思想的統制と処罰を「治安維持法」(1925年-1945年)で行い、軍事機密保護を理由に「軍機保護法」で言論統制を行い、メディアを含めて国民全体に投網をかけたのです。軍事機密には全く無縁であった宮澤さんとレーン夫妻は、この法律の拡大解釈によって逮捕されたものと考えられます。そのとき逮捕に出向いたのは、特高警察であったことはいうまでもありません。

 逮捕された3人は一貫して「スパイ行為はなかった」と主張しました。しかし特高警察は、戦争開始と同時に宮澤さんがレーン夫妻を心配して自宅を訪ねたこと、レーン夫妻が本国(アメリカ)に連絡を取ったとして、それを逮捕理由にしました。取り調べにあたって、拷問も行ったといいます。結果、逮捕から1年半という超スピードで最高裁は結論を出したのです。しかも、懲役15年という極刑に近いもので、これはある意味、国民への「見せしめ」でもありました。

 どうして宮澤さんとレーン夫妻が狙われたのか。上田誠吉さんも北大の調査チームも、謎としています。3人は思想的に左翼的なものを持っていた訳ではなく、特段問題はありませんでした。むしろ、宮澤さんは国家主義的傾向が強かったとされています。

 ただ、レーン夫妻は前述したように、43年9月にアメリカの「交換船」で帰米しています。このことを指して、アメリカに抑留中だった日本人のなかに、どうしても帰国させる必要のある人物がいて、それと交換するためにレーン夫妻を利用したのではないか、という仮説を立てる人もいます。しかしそれは証明されていません。

 宮澤弘幸さんは、刑が確定(43年6月)したあと、網走刑務所に送られます。そのとき母親のとくさんは、同じ車両の別の場所に乗って、息子の心配をしたといいます。家族の気持ちはいかほどだったでしょうか。

 網走刑務所で結核と診断された宮澤さんは、終戦間際の1945年6月に宮城刑務所に移送されました。この同じ月に、治安維持法違反で有罪判決を受けた日本共産党の宮本顕治さんが網走刑務所に収監されています。二人のえん罪被告が、網走刑務所で〝すれ違った〟ことは、単なる偶然ではないような気がするのは私だけでしょうか。(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
内閣支持率最低の18%に(朝日新聞ウェブ)。末期状態だね。いや、もう終わっているね。

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 きょうは、山野井孝有さんと宮澤弘幸さんの妹・秋間美江子さんが北海道大学副学長と会うことになっています。昨夜はこの事件を調査した北大の関係者と、札幌在住の毎日新聞OBなど15人が集まり、懇談会が開かれたという一報が届いています。それらの報告を楽しみに待ちたいと思います。

 この山野井さんの動きに連動して、前述のように毎日OBのみなさんが協力態勢をつくることになり、その中で意外なことが判明しました。毎日OBのKさんは北大で学んだお一人ですが、なんと、レーンさんから英語を教わったことがあるというのです。さらに、60年安保闘争のときに全学連委員長で、一世を風靡した唐牛健太郎(かろうじ けんたろう/1937年2月11日-1984年3月4日)さんと、北大で一緒に学生運動にかかわったといいます。人と人のつながりが、思いもよらぬ方面から明らかになっています。

 懸案の宮澤さんの復学問題ですが、2010年3月に北大の逸見勝亮(へんみ まさあき/現在副大学長、山野井さんと秋間さんが面会するという副大学長はこの人かもしれないが)さんが「調査報告」を提出しています。(この項の冒頭で事件の経過などを説明したのは、この報告をもとにしていますが)この報告書によると、1942年5月7日の北大工学部教授会議事録に宮沢さんの「退学許可」が記載されているといいます。

 ところが「復学許可」については学籍簿に、「昭和20年12月21日復学許可ス」と青インクで書き込みがされているものの、教授会の議事録には見当たらないとしています。逸見さんはこの書き込みは、教授会決定に至る段階で行われたものだろうと推測していますが、不自然なのは、「退学」を決めた教授会の議事録は残っているが、「復学」を決めたそれがないという点です。

 北大側は学籍簿の書き込みがあることをもって、宮澤さんの復学を認めた(名誉回復をはかった)という説明をするかもしれませんが、私はあくまでも教授会の議事録で確認すべき事案だと思います。したがって教授会議事録による復学確認ができていないのであれば、改めてその作業(教授会を開いて復学確認)をおこなうべきです。

 宮澤弘幸さんは1919年8月8日生まれですから逮捕時は22歳、それから71年が経ています。存命であれば93歳。えん罪にもかかわらず網走刑務所に送られたために栄養失調に陥り、それが主因となって結核を患い、27歳という若さで亡くなったその無念さは推して余りあります。権力の暴力に改めて怒りがわきます。きょうの北大副学長との面会の模様は、メディアも同行するといいます。北海道大学は、宮澤さんと妹・秋間美江子さんの思いに真摯に答えてほしい、そう願うばかりです。

 この北大生スパイえん罪事件を考えていて、網走刑務所で6年間、通算18年間にわたって獄中でたたかった白鳥事件の村上国治さんを思い起こしました。白鳥事件も松川事件などと同じように、明らかなえん罪事件でした。獄中にあっても待遇改善を要求してたたかっていた村上国治さんの、網走刑務所の面会所で出迎えてくれた43年前のあの笑顔は今でも忘れられません。

★脈絡のないきょうの一行
昨夜、東京で「オスプレイ帰れ」の集会。同じ時間帯に、沖縄で初のオスプレイ夜間飛行訓練。日本国民への明らかな挑発。ふざけるな!