水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)日弁連の死刑制度廃止提案を考える④ 16/10/12
「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/
死刑の場合はすべてが殺人事件であり、ここでは被害者の遺族を対象に考えてみる。「宣言」は遺族の思いについての記述が意外なほど少ない。いくつか拾ってみよう。「犯罪により命が奪われた場合,失われた命は二度と戻ってこない。このような犯罪は決して許されるものではなく,遺族が厳罰を望むことは,ごく自然なことである。」
「また,犯罪により命が奪われた場合,被害者の失われた命はかけがえのないものであり,これを取り戻すことはできない。このような犯罪は許されるものではなく,遺族が厳罰を望むことは自然なことで十分理解し得るものである。私たちは,犯罪被害者・遺族の支援に取り組むとともに,遺族の被害感情にも常に配慮する必要がある。そして,犯罪により命が奪われるようなことを未然に防ぐことは刑事司法だけではなく,教育や福祉を含めた社会全体の重大な課題である。」
「人権を尊重する民主主義社会であろうとする我々の社会においては,犯罪被害者・遺族に対する十分な支援を行うとともに,死刑制度を含む刑罰制度全体を見直す必要があるのである。」
「宣言」はこれらを前提としながら、犯罪被害者の救援関連の法律を引用したうえで「犯罪被害者等に対する支援は,犯罪被害者等を取り巻く状況を踏まえ,福祉の協力を得て,精神的な支援を含めた総合的な支援が必要である。さらに,犯罪被害者等給付金については,支給対象者の範囲の拡大及び給付金の増額を期すべきである。」と述べている。
弁護士は心理学者ではないから「心の領域」にまで踏み込むことはできないのだろう。そのせいだと思われるが、「遺族が厳罰を望むことはごく自然なこと」、「精神的な支援を含めた総合的な支援が必要」と述べながらも、その遺族の気持ちにどう向き合うべきかの記述がない。具体的に提起しているのは給付金の増額についてのみである。この部分は残念ながら不十分と言わざるを得ない。
この「宣言」に目を通しながら、以前読んだことのある東野圭吾さんの「さまよう刃」という小説を思い出した。妻に先立たれ高校生の娘と二人暮らしだった男性が、その娘を殺した相手に復讐していくという物語だ。加害者たちは未成年のため死刑はありえず、自分が手を下すしかないという、慟哭の世界を描いたものである。
東野氏は加害者が特定され、その一人を殺害した父親が警察に出した手紙の中でこう言わせている。「彼を殺したことを、私は少しも後悔しておりません。それで恨みが晴れたのかと問われますと、晴れるわけがないとしか申せませんが、もし何もなければ、もっと悔いることになっただろうと思います。」と。
さらに裁判になった場合に触れ、「未成年者の更生を優先すべきだ、というような、被害者側の人間の気持ちを全く無視した意見が交わされることも目に見えています。事件の前ならば、私もそうした理想主義者たちの意見に同意したかもしれません。でも今の考えは違います。」とも。(次回につづく)
★脈絡のないきょうの一行
小池都知事の給与、半減が決定。不言実行、ビシビシやってほしいものだ。