水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)日弁連の死刑制度廃止提案を考える⑤止 16/10/13
「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/
小説とはいえ、前出は遺族の思いを実によく描いていると言える。殺人事件の刑事裁判で、参考人として出廷した遺族が「極刑にしてほしい」と訴えることは報道でよく見るが、それはまさに脚色なしの心底からの叫びに違いない。死刑制度廃止は、遺族のその思いにどう向き合うのかを問われていることを軽視してはならない。
この問題の解決にあたって、私は二つの方法を考えている。
一つは、時間はかかるが「宣言」も触れている「教育や福祉を含めた社会全体の重大な課題」という部分である。なかでも教育は重要である。「目には目を、歯には歯を」という言葉があるが、この考え方は死刑容認の下地になっているように思う。
そこで、殺人という行為に関して、この言葉を発動しなくても済む教育が行き届けば、考え方はかなり違ってくるはずだ。それでは具体的にどういう教育内容にするのか、に言及しなければ無責任になる。結論的には「いのちを大切にする」教育である。
人の「いのち」の大切さを徹底して教育すれば、戦争の愚かさが理解できるし、ましてや殺人の問題についても自ずと分かるはずだ。その延長線上に、殺人を犯した人の「いのち」についても考えが及ぶようになるだろう。同時にこの「いのち教育」は、殺人の大きな抑止力となることも期待される。
二つ目の方法は、やや暴論気味になるが死刑制度廃止を即刻行うことである。そうなれば、国民感情はどう動くだろうか。反対論は出てくることは間違いない。しかし、「死刑」がなくなる訳だから、「死刑にしてほしい」という考え方は出来なくなる。つまり、死刑制度廃止によって「いのち」の大切さを逆説的に教育する、ということにもつながる可能性を持つことになる。
いわば、反面教師だ。遺族の加害者への許しがたい気持ちは死刑制度がなくなった場合、被害者の「いのち」の対抗軸として加害者の「いのち」を置くことによって、判断基準を変えることが出来るようになるのではなかろうか。これまた教育の世界であり、見方によっては宗教の世界に入り込む。
日弁連の「宣言」採択にあたっての議決は、賛成=546人、反対=96人、棄権=144人だったという。賛成は69.5%と思ったより少ない。棄権に144人もいたことは、弁護士のみなさんの悩みが伺える。確かに重い課題である。
そこで私個人の結論だが、死刑制度は廃止すべきであると思う。しかし、そのための条件整備は前出の教育も含めて、急いでやるべきだ。それは「いのちの大切さ」について考える、あの人たちの好きな〝グローバル化〟に近づく道でもある。
「宣言」は、強制労働を伴う懲役刑を廃止し、禁固刑に統一することや、罪を犯した人を社会から排除しないこと、仮釈放制度改革などを提言している。これらの問題は紙数の関係で、次の機会に譲ることにしてこのテーマを終えたい。
★脈絡のないきょうの一行
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