水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)「生きていること」の大切さ 17/03/03
「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/
先月26日、高校時代の恩師が逝った。76歳とまだ若かった。昨年11月に脳梗塞を起こし治療してきたが、併発した肺炎が収まらずそれが原因だったという。栃木県の塩谷町に住んでいた。ご承知の方も多いと思うが、3.11大震災の放射能汚染の残土(産業廃棄物)の仮処分場としてこの町が浮上し、今もくすぶっている。
恩師は体育の教師で、投網を得意としていた。塩谷町でクラス会を開いたことがある。そのとき、投網で獲れた落ち合アユをごちそうになった。実に美味しかった。そのはずだ、清流で育ったものなのだから。産廃仮処分場について、恩師は反対し続けていた。環境破壊によって貴重な名水が汚れるからだ。
私は「うちの組合に街宣車があります。いつでも車をもって応援に行きますよ」という手紙を書いたことがある。恩師は笑って、喜んでくれた。が、その宣伝カーを出すことはもうできそうにない。
その通夜にクラスメート3人と一緒に出かけた。久しぶりに会う仲間たちだ。もちろん、みんな東京近郊に住んでいる。現状を報告しあううちに、私を除く3人の共通点に気づいた。3人ともいわゆる〝死に目〟に遭遇していたことだ。1人は透析をつづけている。あとの2人は心筋梗塞を起こし、救急車で病院に運ばれたことがあるという。
透析をつづけている彼と、心筋梗塞を発症した1人はペースメーカーを埋め込んでおり、障害者・1級の認定を受けているという。もう1人は、血液をさらさらにする薬が手放せず、服用をつづけ1ヶ月に1回程度の通院を余儀なくされているという。
ふと、思い当たった。恩師の訃報にこの3人は即座に反応して、遠く塩谷町まで通夜に同行してくれた。それは死に対して、一番身近に感じていたからではなかろうか。恩師の死が、自らの健康状態とオーバーラップして、他人(ひと)事とは思えなかったからではなかろうか。だからと言って、そのほかのクラスメートが〝冷たい〟というつもりはさらさらない。
3人は生きていることの凄さと大切さを(本人たちは気づいていないかもしれないが)、無意識のなかに宿しているのではないかと感じた。その発露であろうか、「水久保クン、健康だけは大事にして。無理しちゃダメだよ」と何回も何回も言われた。クンづけで話してくれるのは、彼女らだけである。恩師の死を通じて、生きている事の何かを改めて考えさせられた一コマであった。
来年、高校卒業50周年を迎える。節目の年である。すでに物故者となったクラスメートも何人かいる。そうだ、来年は50年のイベントをやろう、帰りの車の中でそんなことを考えていた。
★脈絡のないきょうの一行
北朝鮮、「金正男は心臓麻痺」。おっとと、どこかの首相の国会答弁に似てるなー(笑)。ポスト真実かい?