水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)去るも地獄、残るも地獄…… 17/03/18

「ヘボやんの独り言」より転載 http://96k.blog98.fc2.com/

 初めて、原発避難者訴訟の判決が出た。国と東電の責任を認めたことは評価できるが、その賠償内容に忸怩たる思いを禁じ得ない――。

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<原発避難者訴訟>原告、笑顔なき勝訴…苦労報われず落胆
毎日新聞 3/17(金) 21:20配信

 笑顔なき「一部勝訴」だった。17日の原発避難者訴訟の判決で、前橋地裁は東京電力と国の賠償責任は認めたものの、命じられた賠償額は原告の請求からは程遠かった。古里を奪われた代償を求めて3年半。大半の原告が周囲に知られないように名前も伏せ、息をひそめるようにして闘ってきた。「もっと寄り添ってくれる判決を期待していたのに」。苦労が報われなかった原告の顔には落胆の表情が浮かんだ。【尾崎修二、山本有紀、鈴木敦子】(以下、省略)
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 1960年代、エネルギーが石炭から石油に変わるとき、多くの炭鉱労働者が職場を追われた。一部では、大量の指名解雇も行われた。そのとき言われたのが「去るも地獄、残るも地獄」であった。原発避難者訴訟は、この言葉とオーバーラップする。

 避難指定区域かどうかを問わず、福島を離れることを決断せざるを得なかった人たちの思いはいかほどであっただろうか。原発事故から避難してきた人たちを私は知っている。子どもの健康を考えたとき、自宅を〝捨てて〟離れる決断をした苦渋の選択に至る経過も聞いた。福島に残った人たちに、申し訳ないと思いながらふるさとを捨てる苦しみは、測り知れない。

 原発避難者の子どもへのいじめは報道されているとおりだ。それを避けるために子どもを避難先から離れた学校に通学させている家族もある。当然、経済的にも負担は重くなる。「そこまでして……」という避難への批判的な声が聞こえる。が、子どもをまもる親の気持ちは、そこまでする、のである。

 翻って、福島に残った家族のことに想いを馳せてみたい。不安はない、と言い切れるだろうか。「コントロールされている」とウソで固められた放射線対策を、どれくらいの人たちが信じているだろうか。子どもと一緒に逃げ出したい、しかし、その経済的保証がない、だから残らざるを得ない、という家族はいないのだろうか。

 今回の判決の賠償内容もそうだが、原発避難者の子どもへのいじめも今の政治の縮図に見える。「弱い者いじめ」がまかり通る図式である。安倍自公政権は、年金カット、高齢者医療費負担増、介護の必要な人の切り捨て――など、典型的な〝弱い者いじめ〟政策を強行している。同じことが原発避難者にも行われているのだ。悲しい現状ではないか。

 いや、待てよ。もしかしたらこの国の国民全体が「去るも地獄、残るも地獄」状態に置かれているのかもしれない。

★脈絡のないきょうの一行
「森友疑獄」は籠池泰典理事長VS安倍晋三首相による日本会議の内紛化してない? メディアさん、誤魔化されないでね。

 

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