水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

「ヘボやんの独り言」より転載 

妹よ   18/01/02

 昨日は年始のあいさつをかねて、茨城県つくば市に住んでいる妹のところに遊びに行った。妹は私より2歳年下。が19歳のとき結婚したため、子供との年齢差は小さい。一時期、上の女の子の「お姉さん」と見間違えられることもあった。子どもは3人、孫は5人いる。孫のうち2人はすでに社会人として活躍しており、もう一人は今年、高校を卒業する。

 妹も私と同じように長崎県の片田舎で中学を卒業して、集団就職列車に乗った一人だ。集団就職といえば、昨年前半のNHKの朝ドラ「ひよっこ」は、(奥)茨城出身の女の子が成長していく様子を描いていたが、彼女も集団就職列車に乗って上野駅に着いている。

 本題から外れるが、当時の中学・高校卒の若者は「金の卵」ともてはやされ、高度経済成長の波に乗せられた。九州・四国方面からの集団就職列車は大阪、名古屋に向かった。一方、北海道・東北方面からのそれは東京、京浜方面に向かっていた。井沢八郎が歌った「あゝ上野駅」(1964年)は、東北方面から上京した若者の心情を表したもので大ヒットした。

 九州出身の私も妹も、名古屋で下車した。が二人とも1年足らずで東京に転居している。転居理由は私の場合は「大学に行きたい」という思いからであったが、妹の場合は紡績工場の仕事でアレルギーが発症し仕事ができなくなったことによる。

 東京に出てきた妹は、酒屋さんに勤めた。そこで茨城出身の青年に見初められ19歳で結婚したのである。結婚したあと東京で子どもを産んだが、連れ合いの都合もあり彼の実家・茨城に転居したのだ。当地の様々な風習を身に着けるため苦労していた。ついて行けなくて、一時期は毎日夜中に泣いたこともあるという。

 あるとき、大学ノートを見せてくれたことがあるが、そこには祝い事や葬式のときなどの手順や、近所づきあいの仕方などこと細かなメモがしてあった。お姑さんから聞かされたことをきちんと整理していたのである。そのメモの威力だろう、彼女は見事に地元の人たちに溶け込んだ。嫁ぎ先の親戚から「よくやっている」という評価の声を私も聞いたことがある。

 現在妹は、長年住んできたつくば市で仕事をリタイアした連れ合いとともに、長男家族と一緒に暮らしている。暮らし向きはお世辞にも良いとは言えないが、孫たちの成長を見守りながら過ごしている。今回訪ねたとき「一度九州に帰ってみたい」ともらした。そうなのである。最初の子どもが生まれたときに実家に連れて行ったことがあるが、それ以来九州には行っていないのである。

 もちろん、家族は東京に転居した関係で九州に実家はない。それでも望郷の念は、私もそうだが強い。今年、結婚50年を迎えるという妹夫婦。頑張ってきたご褒美に、春先に九州に連れて帰ってみたい、そんな思いに駆られている。

★脈絡のないきょうの一行
今年も餅をのどに詰まらせる事故が続発。他人ごとではない年齢に自分も到達し、要注意。


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