水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

「ヘボやんの独り言」より転載 

忘れない①      18/03/11

 あれから7年。関連死を含めると2万2000人を超える犠牲者を出した東日本大震災。改めて、亡くなられた人々のご冥福をお祈りします。

 あの日、自分はどうしていたか、何を考えていたか、都内の状況はどうだったか、もう一度振り返ってみたい。

 2011年3月11日は、春闘勝利をめざす「3.11千代田総行動」を展開していた。早朝から7つの駅でビラ配布、終わったあとは争議解決をめざす要請行動。昼休みは区内・錦華公園から九段下まで昼デモ、午後も年金問題などの要請行動を予定していた。

 昼デモは100人を超える参加があり、盛り上がった。いつもの錦華公園から九段下までのコースである。神保町の書店街にシュプレヒコールを響かせた。

【昼休みデモ】


【昼休みデモ・神保町交差点】


 昼食をはさんで午後の要請行動に移り、私は麹町税務署に民商の人たちと集団申告を行い、消費税増税反対を訴えた。もう一つの組は、賃金差別とたたかう明治乳業争議団支援で、明乳の筆頭株主であるみずほ銀行に、株主として争議解決を図ってほしいという申し入れをすることになっていた。

 麹町税務署を出て、私は年金問題で要請する次の厚労省に向かう途中、午後2時47分過ぎ、あの地震がやってきた。厚労省に入る直前だった。歩いていると足元がグラグラしてきて、一瞬、脳梗塞でも起こしたかと錯覚した。その瞬間、近くの電柱にしがみついた。一緒に歩いていた人も同じことを考えたという。

 そして間を置かず、地面が大きく揺れた。「地震だ」とそのときやっと理解した。厚労省が入っているビルを見上げると揺れる様子がはっきり分かった。「これが倒れてきたらどうなるんだ」という恐怖感がよぎった。そのときはあそこに逃げ込むしかない、と、ブロックで囲まれたビルの植え込みの下を考えていた。危機管理能力としては、低い点数である。

【地震直後の厚労省前】


 館内放送も聞こえてくる。「外へ避難してください。避難場所は日比谷公園となっています」という声も流れてくる。ビルからは次々に出てきて、日比谷公園方面に歩いていく。その間も、何回か地面が揺れた。

(次回につづく)

★脈絡のないきょうの一行
森友疑惑、佐川国税庁長官の「トカゲのしっぽ切り」で終わらせるな。


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