水久保文明(JCJ会員 千代田区労協事務局長 元毎日新聞労組書記)

「ヘボやんの独り言」より転載 

忘れない、番外編      18/03/12

 東日本大震災が起きた翌日、2011年3月12日お昼前、私は宮崎空港に立った。この日から3日間、新燃岳噴火による被災状況を調査するためだ。この調査には15人が参加することになっていた。ところが準備のため前日に行っていた2人以外、到着できたのは私だけ。調査団は3人だけとなった。

 案内人が6人、参加者が3人という〝豪華〟な旅となった。都城市の降灰の状態、その灰を廃棄し山となった灰の堆積場、被害の大きかった牧場、噴石によって天井に穴のあいた倉庫などを案内してもらった。人的被害はなかったが、こちらもまた甚大であった。

 新燃岳は2010年3月ころから活動し始め、翌年2011年(平成23年)1月19日に小規模噴火の後、同26日に大きな噴火に変わった。1月27日頃から溶岩の出現も確認され、約300年ぶりのマグマ噴火となったものである。

 ここ2、3日この新燃岳の噴火が起き、火口から溶岩が流れだしたことが確認され、テレビ画面にも映し出されている。11年のときは新燃岳大噴火から約2か月後に、東日本大震災が起きた。予兆ではあるまいが、新燃岳の噴火が大震災の前触れでないことを祈りたい。

 東日本大震災は「あれさえなければ、復興はできたのに」ということが言われた。そう、「あれ」とは東電福島第一原発の事故である。原発の放射線で汚染された地域の復興は遅々として進んでいない。あの事故は、原発の持っているリスクの大きさを世界の人々に教えた。しかし、安倍内閣は原発推進をやめようとしない。あの、小泉元首相でさえ、原発はなくすべきだと言っているにもかかわらず、である。

 私も、原発はなくすべきだという一人である。その被害状態を知るために、福島第一原発近くを走る国道6号線沿いの線量を調べてきた。2014年の9月に第1回目を行い、昨年4月まで毎年行い4回を数えている。今年も行くつもりだが、改めて17年4月のものを報告したい(下図は17年4月30日の小ブログで紹介したものの再録)。

【4回目の線量調査】

 私は「その国の政治の良し悪しは、弱者にどれだけ手厚い政治が行われるかによる」といい続けている。一つは、子供。もう一つはお年寄り。そして3つ目は、災害被災者。私自身、災害被災者への支援活動は25年を超えた。たくさんの現場も見てきた。そのたびに〝貧困家庭ほど被害が大きい〟ことを知らされた。

 その考えは今もって変わらない。国有地を森友学園に8億円もの値引きをするのであれば、被災者支援に回せ。オスプレイを買うお金があるのなら、被災者支援に回せ――そういう思いは、ごまめの歯ぎしりなのだろうか。

★脈絡のないきょうの一行
「森友文書改ざん 複数の職員関与」の報。問題はそれを誰が指示したかだ。


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