坂本陸郎(JCJ運営委員;広告支部会員)
埋め立て工事は順調か (地図と資料は『平和新聞』2137号から)
防衛省は、2トンの石の入った網袋数個を海中に沈める護岸工事にとりかかった。海域の土砂流出を防ぐための「防止膜」の設置が整ったから、としている。
護岸工事は、埋め立て予定地を囲む堤防のようなものを海中に造る工事だが、政府は、それを「K9護岸」(地図)から着手し、年内にも石を沈める工事を完了する計画である。それによって海底の岩礁は破砕されることになる。だが、岩礁の破砕には沖縄県知事の承認が必要である。したがって、仲井真前知事による承認が今年3月で期限切れとなっていることから、新たに現知事の岩礁破砕の承認を得なければならない。だが、その見通しが立っていない。
そのため政府は、地元の名護漁業組合が、辺野古海域での漁業権を放棄したことを根拠として、知事の岩礁破砕許可は必要ではないなどと言っている。
そもそも魚業組合の漁業権放棄は法的効力を持つのだろうか。1985年の国会で政府は、このように答弁している。「漁業権は漁協の総会で放棄が議決されたとしても、それだけで変更されるものではない。都道府県知事の免許を受けない限り、漁業権が放棄されたことにはならない」。
漁業権放棄には公的承認が必要であることを政府も認めていたことになる。にもかかわらず、政府は今回、それを覆す解釈をしている。そのような勝手な解釈は許されないであろう。ましてや、漁業組合が漁業権を放棄したことを岩礁破砕の承認と結びつけるなどは論外と言わなければならない。
さらに、その他いくつものハードルが立ちはだかっている。まず、膨大な量の土砂運搬の目途が未だに立っていない。加えて、工事を進めるためには、名護市内を流域とする美謝川の水路を変えなければならない。ここでも自治体の許可が必要となってくる。それを名護市議会が認めるだろうか。まして、稲嶺名護市長と翁長知事が承認するとは到底考えにくい。
ハードルはそれだけではない。翁長知事が、前知事による埋め立て承認そのものを撤回する意向を明言している。だとすると、稲嶺名護市長が言うように、「これらをクリアーしないと、実質的な埋め立て工事に入ることはできない」(記者会見での発言)ことになる。
以上からも明らかなように、今後の埋め立て工事には様々な困難が予測される。政府と防衛省は、そのことを充分知っているはずである。石の入った袋を海岸近くの海中に沈めるという工事は、新基地建設に反対する沖縄県民と本土の国民の諦め気分を誘うデモンステレイションではなかったのか。テレビを見たり大手紙を読んだりすると、政府の強気の姿勢が伝わってくるのだが、政府や防衛省が、必ずしも今後の成り行きに確たる自信を持っているとも思えない。案外、不安と動揺が見て取れるのではなかろうか。
代替基地建設か新基地建設か (新基地計画地図は『沖縄タイムス』から)
政府は、V字型滑走路を備える辺野古の基地を、普天間飛行場の返還にともなう「代わりの基地」なのだから、「沖縄の負担が増えることはない」と言っているのだが、そうだろうか。「代替基地」であれば、辺野古の基地が完成するまで、普天間基地の返還は先伸ばしとなる。
以下は、地元紙『沖縄タイムス』の連載記事の一部要約(筆者による)と引用である。
たしかに、滑走路は2700メートルから1800メートルへと短縮する計画であり、普天間で基地機能三つのうち、空中給油機はすでに山口県の岩国基地へ移され、緊急時の外来機受け入れは本土移転が決まっていることから、辺野古基地ではオスプレイやヘリの部隊だけとなるようだ。それを、菅官房長官などが「面積や機能が小さくなる」「沖縄の負担軽減」と言っている。だが、沖縄県民の多くが新しい基地の建設だと理解している。
では、新しい基地とはどのようなものなのか。『沖縄タイムス』の記事を以下引用する。
― 飛行場の大浦湾側に整備予定の係船機能付き護岸は、全長271,8メートルで、オスプレイ搭載可能の、長崎県佐世保を母港とする強襲揚陸艦ボノム・リシャールが接岸できる「軍港」ではないかとの指摘がある。それとは別に、タンカーの接岸できる燃料桟橋も設ける。弾薬搭載エリアも普天間にはない機能だ。現在のようにミサイルや銃弾を積み込むため、空軍嘉手納基地に移動する必要がなくなる。
陸上自衛隊航空部隊の元操縦士は、「シュワッブやハンセンに駐留する地上部隊と航空機が一体となり、さらに弾薬、艦船の受け入れを一か所に集積できるなら、平時でも有事でも使い勝手はよくなる」と評価する。1996年の返還合意当初に話し合われた撤去可能な海上ヘリポート案や、稲嶺恵一元知事らが求めた使用期限付きの飛行場に比べ、「恒久的な基地になるのは確実だ」と語っている。―
この新基地について、『沖縄タイムス』は、オスプレイ百機以上が配備可能な設計だとする前防衛大臣森本敏元氏の著書を紹介したうえで、次のように書いている。
― 有事の際には常駐機以外の外来機の受け入れを想定しているのは間違いない。修繕次第で、耐用年数は100年とも、200年ともいわれている。新基地ができれば、米軍が簡単に手放すわけはない。自衛隊との共同使用も視野に入れているだろう。さらに埋立地は国有地になるため、私有地や市有地に比べ、土地利用に口出しできなくなる。「戦後70年以上続いてきた沖縄の過重負担が、子や孫の代どころか、100~200年も続くことは耐えられない」、翁長知事や稲嶺市長は、そう声を上げている。―
記事は、この3000メートル級滑走路2本と軍港機能を持つ基地建設が、1966年にすでに計画され、当時自衛隊トップであった統合参謀本部議長がその建設を承認していた事実を、資料をもとに明らかにしている。
それについて、基地問題を調査してきた建築家・真喜志好一氏の談話を載せている。
―「沖縄の負担を軽減するという名目で、実際は米軍の安全基準にも合わない、危険で老朽化した普天間を返し、60年代に見送った計画を実現させようという意図がある。しかも、建設費は日本の予算だ。沖縄戦で奪った土地に本土爆撃用として造った基地とは違い、現在の米海兵隊の求める機能をそろえた、まったく新しい基地だ。そんな都合のいい話に県民は騙されない。だから、反発と抗議が強まり、工事が進まないことを認識すべきだ」。―
(続く)