坂本陸郎(JCJ運営委員;広告支部会員)
広告会社の社員となって1年ほどして、勤務先が銀座から築地となり、長い年月をそこで過ごした。その後は、50代半ばの頃であったか、社の引っ越しで、勤務先が築地のビルから墨田川縁の高層ビルに移った。
銀座に出かけた折に、かつての築地のビルまで足を運んだ。建物はすでに売却されているらしく、屋上に置かれた社名の看板は取り外されている。丹下健三氏設計の、セメントの地肌がむき出しの14階建てのビルが、巨大なモニュメントのように突っ立っていた。
その、人気のないビルに近づくと、なんとも殺伐としてきた。人の住む家であれば空き家または廃屋というべきだが、これは、そそり立つ無人のビルである。これを何と呼んだらよいのだろう。「空きビル」とだけいっても、その感じは伝わってこない。暗いビルの中に人ひとりいないと思うと、かつての内部を知る者には、いっそう異様な感じが伝わってくる。
築地のビルで過ごしたのは、15年ほどだっただろうか。当時、暇に任せて築地界隈を、しばしばぶらついたものだった。昼時になると、誘うか誘われるかして、築地市場まで足をのばして食事をした。退社後の夕刻、閉店間際の場外で干物を買って帰ったりもした。
築地市場を眼下に見たこともあった。亡妻が築地癌センターに入院していたからだった。その各階の病室が並ぶ外れに、見晴らしの良いコーナーがあった。そこから、ガラス越しに夕暮れ時の東京湾を眺め、築地市場の全景を俯瞰した。80年前に日本橋から移設されたという、広大な敷地に造られた魚市場は、放射線状の建物と空間がバランス良く配置されているようだった。当時としては先を見越した斬新な設計ではなかったのだろうか。
眼下を眺めながら、ふと思った。築地市場がなくなると、この一帯はどうなるのだろう。すると、無人のビルの下に立った時の殺伐とした感じが蘇ってきて、私のなかで何かが、いまにも壊されそうな心持ちになった。
なぜ、築地市場を壊すのか。なぜ、豊洲に移さなければならないのだろうか。
築地にいた当時、早朝の築地市場の場内に足を踏み入れたことがあった。釣り好きで魚に詳しい同僚の案内だったように記憶する。その時、場内の活気とにぎわいに圧倒されたものだった。魚と氷を詰め込んだトロ箱を重ねたターレが、かなりな速さで走り回っている。クラクションではなく大声が素人客を慌てさせている。黙々とマグロを切り裂く仲卸たち、見たこともない魚、海老、ウニなどが店先にふんだんに置かれている。
築地市場の敷地は23万平方メートル、東京ドーム五個分の面積である。水産だけで7社の卸業者と、575社の仲卸業者がそこで商っているという。その市場の規模は世界最大規模で、日本漁業の表看板なのだ。だから、外国の観光客がマグロを裁くのを見ようと次々に訪れている。目の前で切り落とすマグロの「切り落とし」が人気だった。それが目当ての婦人方が連れ立ってやって来ていた。
もし豊洲に移ったら、こんな情景が再び見られるのだろうか。
マグロ仲卸業者たちがこのように話している。
「豊洲移転は土壌汚染だけが問題ではない。豊洲新市場の一店当たりの面積は四畳半と狭い。間口は1メートル50センチほどでしかない」
「冷蔵庫だけで幅1メートル10センチ、マグロもさばけない、足の踏み場もない」
「床の耐荷重が1平方メートル当たり700キロ、これでは、水槽に70センチしか水が入れられない」
「ターレは運転手と荷物で2トン、フオークリフトやターレが走れば床が抜ける」
「築地では使う水も魚を洗うのも海水なのに、豊洲では建物が傷むからといって、海水を床に流せない」。
耳を疑う話ではないか。なんと狭いスペース、それが仕切りで囲われているのだという。しかも、築地のように魚を洗うのに海水を床に流せない。魚を満載したターレは重量オーバーを気にしなければならない。これでは商売上がったりではないのか。
48年間築地市場で働いてきた仲卸業者が豊洲市場の設計ミスを指摘している。
「考えたのは素人、都はわれわれ築地業者の意見はほとんど聞かなかった。豊洲で営業許可を得るには、都が定めた設備への買い替えが必要、当店の場合、冷凍庫などで約650万円の出費となる」。
問題はそれだけではない。豊洲は1956年から30年間、東京ガスが都市ガスを製造していた工場跡地である。その製造過程で、ヒ素が使われ、ベンゼン、シアン化合物が生成されていた。それが今までの9回の調査でも、とてつもない数値で検出されているではないか。
ガスをつくった後にはタールも生み出される。その大量のタールがドラム缶に保管されたまま長期間放置され、ドラム缶が腐食してタールが地中に浸透しているのだという。
こんな会話が聞こえてくる。
「豊洲で売る方も不安でしょうけれど、買う方もすごく不安」、「魚屋はみんな困っているよ。お客さんからも、安心して魚を買えなくなるといわれているよ」、「“築地で仕入れた”は誇り、“だ、 ”豊洲で仕入れた”といって喜ぶ客がいるのか」。
もはや豊洲移転は中止するしかないと思わざるを得ない。この豊洲移転の目的とは、そもそも何だったのだろうか、次の指摘を考えてみたい。
「単なる移転ではなく、大企業のための大規模物流センターの建設であることは、都の卸売市場整備計画からも明らかである。市場というより、大型産地や輸入商社からの大量の食糧を効率よく配送するための施設だ。移設計画は食の安全を脅かすだけでなく、日本の食文化を支えてきた食の流通を破壊するものだ」(農民運動全国連合会常任委員・斎藤敏之氏) 。
そうだとすれば、豊洲移転はとても「都民フアースト」などとはいえないだろう。なぜ豊洲移転が持ち上がったのか。今までの都議会での議論を検証し、翻って考えることが必要ではないのだろうか。