戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
手元に「関東軍火工廠史」(後編)と題したA5版689ページの本がある。関東軍火工廠はおれの父が働いていた軍需工場で、中国東北部(旧満州)遼寧省遼陽県遼陽市にあった。父はもともと東京・王子にあった陸軍造兵廠に勤めていた。1940年(昭和15年)に転勤になり家族揃って渡満した。
1945年8月9日、ソ連軍が突如国境を越えて満州へ攻め込んできた。「世界最強」を豪語していた関東軍だが実は張り子の虎で、なすすべもなくソ連軍に蹂躙された。そして8月15日の敗戦、父の勤めるていた工場は大波に晒された。工場の配属将校たちは右往左往するだけで何もてにつかなかった。
結局、ソ連軍が工場を占拠する前に住民を巻き込んで玉砕することになる。決行日は8月25日。多量の爆薬が小学校の床下に仕掛けられ、その上で住民たちがお経を上げた。おれの父は自警団のようなものを組織して放火された家屋の消火などにあたった。おれの家族は父の友人の家に合流して玉砕を待った。
玉砕は実行寸前に中止された。決行されていれば、日本敗戦史でもまれに見る集団自決になったろうし、第一今のおれは存在しなかった。父の生前、この玉砕中止のいきさつについて聞いたことがあるが、父も詳しくは知らないようだった。それがずっとおれの心の中に澱(おり)のように残っていた。
今年6月8日おれは80歳になった。そろそろ終活に本腰を入れなければならない。そんな気持ちで「関東軍火工廠」をネットで検索、冒頭の本に辿り着いた。京都にある「将軍堂」という古本屋に1冊だけ在庫があった。2万円というのはちょっと高価だが背に腹は代えられない。早速購買の手続きをした。
前後編2分冊の「関東軍火工廠史」(後編・1980年発行)は遼陽桜ヶ丘会の編集・発行。遼陽桜ヶ丘会というのは関東軍火工廠に勤めていた人たちの同窓会組織だ。本は会員頒布で定価がない。父は1983年死んだが、亡くなる前に郵便で本の購読を勧める宣伝物が来ていた記憶がある。
本を読み始めたところだが、貴重な証言が盛り沢山だ。1980年というとまだ戦後35年で、おれの父もそうだが、まだ多くの当事者が生きていた。もう今では殆ど他界されていることだろう。これからじっくり読み砕いて「集団自決」の真相に迫ろうと思う。できればおれ流にまとめてみたい。