戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(11) 17/11/08

明日へのうたより転載

3、町ぐるみの玉砕
 8月25日朝、関東軍918部隊長林光道少将宛てにソ連軍から一通の命令書が届いた。開くと、①軍人、軍属の男子全員、②冬服着用、毛布1枚、10日分の食糧を携行して、③17時までに遼陽第二陸軍病院前に集結、④列車で海城へ行き他部隊と合流せよ、という内容。海城は遼陽から大連へ向かう途中の駅である。

 林部隊長は即座に将校会議を招集、東京陵と唐戸屯に分けて部隊を編成し、遼陽へ向かうよう指示した。東京陵組を本隊、唐戸屯組を支隊とし、本隊は林部隊長、支隊は吹野信平少佐が指揮を執る。出発時間は東京陵14時、唐戸屯13時とし、遼陽で落ち合った後集結地点の海城へ列車で移動する。

 庶務科の米田穣賢軍属は25日午前、「毛布2枚を持って午後2時までに広場に集合せよ」との伝達を受けた。米田は家族と食事をし水杯を交わすと妻に「お前も職業軍人の娘だ。分かっておろうが、もしソ連兵から辱めを受けるようなことがあったら3人の子どもとともに自決せよ。俺は多分シベリヤ行きだ」と言い渡した。妻は子どもたちに「お父さんの顔をよく見ておきなさい」と言い、広場まで見送った。

 工務科技手の武井覚一が受け取った命令は次のようなものだった。「男子17歳から55歳までの全員、14時までに火工廠酒保前のロータリーに集合せよ。携帯品は冬物衣類と食糧。行き先は不明」。武井は「いよいよ来るものがきた」との思いで、自宅に預かっていた女子挺身隊員2人を呼んだ。「私はこれから出かけるが、どこへ行くのか、どうなるか分からない。貴女たちにもどんな辛い苦しいことが待っているかも知れない。こんな思いをするくらいならいっそ配られた青酸カリを飲んでしまおうと思う時があるだろう。しかし決して飲んではいけない。とにかく生きて日本に帰ることだ」。

 妻には「お前もどんなことをしても日本へ帰れ。もし内地へ帰れたらどこに住むことになっても、本籍地の役場に行き先を知らせておきなさい。私は生きて必ず訪ねていくから」と言い、一同と水杯を交わした後、リュックサックを背負って集合場所へ向かった。

 空は快晴で広場はじりじり焼きつけるような日差しが照りつけていた。午後1時を過ぎる頃から荷物を担いだ男たちが続々と集まりだした。中には酒気を帯びた者もいる。群衆が100人を超えるころから広場に異様な空気が渦巻きはじめた。「戦争は終わったんだ」「戦闘要員でない軍属まで捕虜にするのか」「無防備て残された家族はどうなるのか」「部隊長は何している」「ソ連のいいなりなのか」など日頃考えられない部隊への不満が噴出し、不穏な形勢になってきた。