戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(14) 17/11/14

明日へのうたより転載

 加藤大尉はリュック替わりの背嚢に支給された乾パンを詰め、部隊出発の合図をした。集合順の混成部隊で隊列は4列縦隊。箱根峠を越え東京陵の工場が見える頃になって、「全員止まれ」との伝達がある。加藤大尉は隊列を道路脇に寄せ、後令を待つことにした。30分ほどして「唐戸屯へ引き返せ」の命令が届く。理由も分からず、みんなブツブツ言いながら腰を上げた。唐戸屯本部前で「逐次流れ解散せよ」と言われ、狐につままれた気持ちで加藤大尉が松風寮に戻ったのは午後3時半だった。

 朝日町に住む軍属(雇員)小林隆助の長女延子は国民学校5年生。下に弟妹が5人もいるので日頃から母を助け家事の一端をこなしていた。8月25日朝、父親がシベリアへ連れて行かれるかも知れないと聞いて、母のつくった大きなおにぎりを沢山焼いた。父に「すぐ帰ってくるからそんなにいらない」と笑われる。正午近く父はロータリーの集合場所へ出かけた。

 そのまま出発したものと覚悟していたら、夕方になって近所の男たちが続々戻ってきた。出発は取り止めになったという。父はなかなか帰ってこない。延子は母に促されてロータリーまで父を迎えに行くことにした。夕日が真っ赤に染めている広場の真ん中で父は酔いつぶれていた。周りの人の助けを借りてやっとこさ、朝日町の自宅まで連れて帰る。着いたとたん父は、玄関の上がり縁で寝込んでしまった。

 延子は近所の人から《今夜12時に国民学校で全員爆砕する》との話を聞いた。「うちは小さい子もいるから学校へ行くのは無理なので、爆発の音を聞いたら青酸カリを飲みましょう」と母が言う。楽に飲めるよう、大事に取っておいたサイダ―やカルピスを台所の床下から取り出した。

 母が子どもたちに着せる晴れ着をタンスから出しているところへ、家族ぐるみ懇意にしている戸塚家の母親せんが顔を出した。後ろに長女和子(12歳・遼陽高女1年)、長男章介(8歳・桜ヶ丘国民学校2年)、二女栄子(5歳)、三女悦子(3歳)が従っている。せんは「学校へいきませんか」と言う。延子の母は「うちはここで死ぬつもりです」と答えた。「ではうちもご一緒させてもらいます」「どうぞ」ということになった。父親の戸塚陽太郎は火事の消火や警備のために動きまわっているという。延子は《うちの父は酔いつぶれて寝込んでいるというのに》と肩身の狭い思いをした。