戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

わが家の蜂屋柿、干し柿も成功 17/11/15

明日へのうたより転載

 本16日付の『毎日』川柳欄に「隣から枯葉もらうが柿こない」という句が載っていた。確かに柿の落ち葉は大きくて量も半端じゃない。木枯らしでも吹こうものなら5軒先まで飛んで行く。それを見越しておれんちでは焼酎で渋を抜いた柿を2個ずつ近所に配って歩いた。「甘かった」と評判もいい。

 うちの柿、去年はさっぱりだったが今年は豊作だった(柿の実が沢山生るのを豊作というのかな)。ネットで調べたのだが、うちの柿は蜂屋柿というらしい。とにかくでかい。だから収穫も大変だ。低いところは脚立に乗って手で獲れるが、高いところは手元で操作できる枝切りハサミを使う。これが歳とともに操作困難になって、首が痛くなる。もちろん腰も痛いのでどうしても獲り残してしまう。

 今年は干し柿をつくって成功した。数年前のやはり豊作の年、干し柿づくりに失敗して腐らせてしまった。半月前、柿の木の下を通りかかった近所のお爺さんにその話をしたら、失敗の原因は柿に竹串を刺して糸で吊るしたせいだという。串を刺した傷跡から細菌が入って腐ったとの指摘。なるほどそうか。

 というわけで今年は柿の付け根のところの枝を残して、竹串を刺さなくても糸で吊るせるようにした。皮を剥いて熱湯で消毒、おれの部屋の軒下に吊るした。1週間で色が変わり、10日で柔らかになった。よくモミモミして2週間目に試しに1個食べてみたらこれが旨い。濃厚な甘さだ。

 さてここまではいいことづくめなのだが、やっかいなのは獲り残した梢の先の熟し柿だ。風もないのにボトンボトンと落ちる。うちの庭なら構わないのだが、道路に落ちると人様の迷惑になる。車で潰すとタイヤに柿がこびりついて蟻にでも食われたら大変だ。今朝もぺしゃんこの柿を手で剥がして最後は水で流した。上を見たらまだ数個の柿が枯葉の間に垣間見える。あれが落ち尽すまで油断できない。

 枯葉の掃除も重労働である。おれも少しは手伝うが、女房どのが主にやってくれている。それもいつまでできるかなあ。この家を立てて47年、柿の木はいつ頃誰が植えたのか。おれは記憶ないから死んだ親父なのかな。死んで34年になる。34歳で一家を連れて満州へ渡り、39歳で引き揚げ、田舎で行商して子どもたちを育て、55歳で上京、65歳で長男と同居、居心地が悪いとぼやきながら76歳で死んだ。

 今このブログで満州での敗戦から引き揚げまでの記録を書いている。親父への供養なのかも知れない。