戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
武井技手は宮城少尉に「ありがとうございます。その時は一緒にお願いします」と頭を下げて別れ、自宅へ引き返した。しばらくすると同僚の小野伴作技手が玄関を開け、「私は逃げるので家で預かっている電話交換手の女性2人をお願いします」と言う。武井は「預かりましょうう」と即座に引き受けた。
そこへ慌しく駆けこんできた30人ほどの一隊。左官の大蔵班長に率いられた工員たちだ。「武井技手殿、一緒に戦いましょう。我々はこのままただ死ぬのは嫌だ。ソ連軍に一矢報いて死にたい。警戒の人たちが軽機関銃を持って吉野山に籠ったそうです。我々も合流して戦いましょう」。と意気込む。
武井はみんなを宥めて「諸君の気持ちはよく分かる。しかし陛下は何と仰せられたか。忍び難きを忍び、耐え難きを耐えと申されたではないか。今我々が一時の感情に逸り、ソ連軍に歯向かえば逆に殲滅されることは必至だ。私は戦わない。諸君も軽挙妄動を慎んでくれ」と諭した。てっきり先頭で戦ってくれると信じていた武井の言葉に拍子抜けした大蔵班長たちはうなだれて引き上げていった。
それから間もなく近所の田島夫人が顔を出した。「武井さん。お宅はどうします」と聞く。「私のところは死にには行きません」と答えると夫人は考え込んた顔で帰っていった。
すぐに隣家の山崎藤三次技手から声がかかった。「ほとほと弱りました。私は部隊長のお供をして死ぬつもりでした。覚悟を決めて身辺を片付け、書類や神棚を焼却しました。夕方になったので子ども6人と妻、私と8人揃って食卓を囲みました。妻がつくった精一杯のご馳走です。
食事が終わって私は記章や勲章を胸につけて正装し、『俺は部隊長のお供をする。これから学校へ行くが、お前たちも一緒に行かないか』と言いました。すると11歳の長女と10歳の長男が『お父さん、行かないでください。死ぬのは嫌です』と泣きながら私にすがってくるのです。私は身動きできず途方に暮れています。どうしたらいいのでしょう」。山崎技手は心底困惑の様子だ。
武井は「山崎さん死ぬのは止めましょう。なんとかなるかも知れませんよ。なんでしたら私の家へ皆で来ませんか」と誘った。武井の言葉に触発されて山崎の頭に冷静な思考が戻った。《ここは一つ運を天に任せてみるか。いざという時にはカプセルの白い粉を飲めばいい》。山崎は妻子を促して家庭用防空壕に入り、じっと様子をうかがうことにした。