戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
東京陵には第一工場の他に新しく建てられた第三工場がある。そこで働く工員の坂本吉次は、和泉正一中尉に命じられて7人の同僚とともに爆砕のための火薬運搬にあたった。消防車で第三工場の火薬庫と国民学校との間を数回往復し、50キロ入りの茶褐薬(TNT火薬)の木箱40個、総量2トンを運んだ。
学校は2階建てで、1階に講堂、職員室、1年生から4年生までの教室、2階には5年生、6年生の教室があった。火薬が運び込まれたのは東端から2つ目の2年生の教室。隣の3年生の教室の間に2階へ上る階段がある。2年生の教室の真上が5年生、隣が6年生の教室で、もし爆発が起これば木っ端みじんに吹っ飛ぶはずだ。火薬は2年生の教室の中央に2山に積まれた。
坂本たちが作業を終えたのは夕暮れだった。坂本自身は玉砕に加わる気はない。吉野山を越えて逃げるつもりだ。さっさと自宅へ戻り準備をした。単身の身軽さで荷物も少ない。出がけにやはり気になって学校を覗いてみた。各教室とも人がいっぱいだ。特に爆薬の真上の教室はぎっしり詰まっていて、中に念仏を唱える年寄りも見られた。坂本は火薬を運んだ自分の行為に複雑な思いを抱きながら学校を後にした。
爆薬の点火役は独身の稲月光中尉と柳尚雄中尉が林部隊長から指名された。2人はピラミッド状に積まれた爆薬の頂上に登って、導火線を差し込む穴をドリルで開ける。導火線を差し込んで点火の準備は整った。作業を終えた柳が「何故自爆しなければならないんだろう」と呟くように稲月に訊いた。「林部隊長も吹野少佐殿も死ぬんだ。一緒に死んでもいいではないか」と答えた稲月だが、自分でも納得いかない。
そこへ岡崎大尉、竹村大尉、得能中尉がどやどやと入ってきて「今一度林閣下に自爆中止を諫言しようではないか」と柳、稲月に声をかけた。2人は即座に賛同し、5人揃って林部隊長の前へ進み出た。話を聞いた部隊長は目を剥いて怒った。「お前たちは若いからどこへでも行けるが、年寄りや婦人子どもはどうする。敵に辱めを受けるくらいなら死んだ方がいいのだ。死ぬのが嫌なら勝手にどこへでも行けばいい」。部隊長の剣幕に諫言を諦め、岡崎たち3人は席を立つ。「我々は死にません」。
戸塚家と小林家が合流した朝日町の小林隆助宅では、2人の母親とそれぞれの長女の戸塚和子、小林延子は今夜死ぬ覚悟を決め、青ざめた顔で時を待っていた。国民学校2年生の私をはじめ幼い子どもたちは玉砕の意味が分からず、まるで遠足に来たようなはしゃぎ方。あちこちから上がる火の手が窓から見えた。