戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
久子の母が袱紗に入れて持ってきた現金や貯金通帳を「もうこんなもの必要ない」と言って草むらに投げ捨てた。国民学校の校門のところで「先生」の声とともに白鉢巻き姿の女の子に飛び付かれた。今年4月まで担任だった4年生の阿部容子だ。この子も10歳で短い一生を終えるのかと思うと不憫だった。校舎は廊下まで人で埋まっている。女学校の先輩でもある浜本大尉夫人の顔が見えたので会釈をした。
担任の2年生の教室を覗く。机や椅子が窓際に片付けられ、中央に爆薬の箱がピラミッド状に2山積まれていた。教室の脇の階段を2階へ上る。爆薬の真上の教室に人が溢れ身動きもできない。教室前の廊下に車座になり、盃を前に置いて手を合わせている家族がいた。盃の中味は溶かした青酸カリに違いない。爆発の前に自ら命を絶つつもりか。その隣ではアルバム持参の人がいて、見せ合っては泣いている.
人混みの中で浅野中尉が尺八を吹き始めた。曲目が進んで「海ゆかば」になるとそれに唱和する声が次第に高まっていった。8月末の満州の夜はもう寒いくらいだ。窓から外を見る。数か所で火の手が上がっている。避難した人たちがわが家に火を放ったのだ。久子は紅(くれない)の炎にそっと手を合わせた。
久子は用事を思い出して職員室への階段を降りた。自分の机からチリ紙を取り出していると、突如電話が鳴りだした。とっさに受話器を取ると「至急柳中尉を呼んでください」と息の弾んだ声。林部隊長や幹部将校のいる部屋まで急ぎ、手近の将校に「柳中尉に電話です」と告げた。
林部隊長への諫言が入れられず無力感にとらわれていた柳尚雄中尉は「今頃の電話、誰だろう」といぶかりながら職員室へ急ぐ。受話器を取ると耳慣れた鈴木弓俊少佐の声だ。「今遼陽にいる。詳しい話の余裕はない。ソ連軍との談判がうまくいきそうだ。導火線に火をつけるのだけは阻止してほしい」。
ここで話は8時間ほど遡る。一度出発した唐戸屯部隊が「遼陽行き中止」の命令を受け、回れ右して部隊本部に引き返したのが午後3時半。吹野信平少佐から「逐次流れ解散せよ」と言われて加藤治久大尉は不審の念を深くした。「一体どうなっていんるんだ」。加藤は松風塾長の加々路仁大尉を訪ねて疑問をぶつけた。「私にも分からないが、林部隊長が遼陽行きの中止を決めたようだ。そうなればソ連軍の報復が目に見えている。部隊長は玉砕のハラではないだろうか」。《玉砕だけは避けなければならない》と2人の意見は一致した。