戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
2人は隣室の佐野中尉の部屋に行き、青雲塾の重田中尉、麻殖生(まいお)見習士官らを呼び寄せた。《唐戸屯地区としてこれからどうすればいいのか》。大半の将校が爆死には反対の意見を吐いた。「ソ連軍との停戦ができ、敗戦になった今、ソ連の命令に逆らって家族を巻き込む玉砕戦法は承服しかねる」。ではどうすればいいのか。奇跡でも起こらぬ限り、この窮地から抜け出せない。みんな頭を抱えた。
そこへ寮生が「塾長、お電話です」と呼びにきた。(後にして思えばこの電話が奇跡の始まりだった)。電話に出ると「こちらは遼陽のソ連軍司令部、自分は日本人通訳の菅野軍曹です」と早口で名乗る。「塾長の加々路ですが、何故私に電話されたのですか」と尋ねた。「東京陵の部隊本部に何度も電話したのですが林部隊長に取り次いでもらえません。やむなくそちらにかけました」との返事。なるほど、既に死を覚悟した部隊長にはソ連軍司令部との折衝などは無意味というわけだ。
「ところで用件は何ですか」。加々路大尉は先方の返答次第では電話を切るつもりだ。「約束の時間に他の部隊は到着したのにあなたたちの部隊はどうしたのですか。それをお聞きしたい」。「我々は一般の軍隊と違って火薬製造の工場付属部隊であり、工場と同時に婦人、子どもも守らなければならない。他の部隊のように即座に行動するのは難しいのです」。「女子どもまで集合せよとは言っていない」。
これ以上問答しても電話では分かってもらえそうにない。加々路は電話口で沈黙する。「ソ連軍司令部は、現在遼陽に集結した部隊を先に海城へ向けて出発させると言っています。自分の任務はあなた方の部隊が、時間に遅れてもいいから来るのか来ないのかそれを伺うことです」。これは重要な質問だ。どう答えるか加々路塾長は判断に迷った。《行かないと答えるとソ連軍との交信は切れたことになり、武力による報復もあり得る。かと言って唐戸屯部隊だけで、しかも責任者の吹野少佐を差し置いて松風塾長の自分が「行きます」と言えるものだろうか》。緊張で受話器を持つ手が震えた。
「必ずそちらへ参ります」。決断の重みで一瞬息が止まる。「お待ちします」と言って電話は切れた。電話の周りに集まっていた将校たちが、電話の内容を察知して大きくうなずいた。塾長の決断から生じるあらゆる事態を、連帯責任でともに背負う覚悟が加々路に伝わる。さあこれで数時間の余裕ができた。やるべきことは何か。ソ連軍司令部との再交渉だ。頭の回転が速そうで、腰が据わった菅野軍曹がきっと手助けしてくれるに違いない。加々路、加藤両大尉は東京陵の川原鳳策少尉に連絡すべく立ちあがった。