戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
至急東亜寮に将校を集め、ソ連軍司令部との再交渉の余地があることを説いた。交渉は沈着冷静でみんなから信望の厚い浜本宗三大尉に頼むしかない。川原少尉を先頭に数人の将校が学校にいる浜本大尉の説得にあたった。当初「俺はもうこんなしち面倒くさい世の中は嫌になった。死ぬのが一番いい」と断っていたが、川原少尉らの衷心からの要請に最後は首を縦に振って承諾した。
即座に浜本大尉を主席とする川原少尉、伊藤礼三中尉、鈴木弓彦中佐の4人で交渉団が結成された。すぐさまソ連軍司令部のある遼陽へ向かおうとしたが車がない。将校たちは手分けして車捜しに各所へ散った。しばらくして病院から連絡があり、トラックを1台確保できたという。乗っていたのは吹野夫人と母堂を病院に連れてきた稲月光中尉。稲月は将校らと一緒に夜中の遼陽往復を運転手に承諾させた。
4人の交渉団は将校たちに見送られて、月明かりの道を遼陽へ向かった。ソ連軍は、関東軍憲兵隊のあった旧軍人会館を接収して司令部としていた。交渉団の到着は既に10時になろうとしていた。建物に入ると、通訳の菅野軍曹が待ち構えていた。「火工廠の部隊だけが指定の時間に集結しない。林部隊長が来られたが司令官に会えずに帰られた。松風塾の加々路塾長は必ず来ると言うのだが、その後どうなったか分からない。部隊は来るのですか来ないのですか」。
この詰問に対し「ソ連軍司令官に直接お話ししたい。取り次いでもらえないか」と浜本大尉。菅野軍曹はその気迫に押されるように司令官室に向かった。5分ほどして戻ってきた菅野軍曹が「司令官は会うと言っています。しばらくお待ちください」と言ったので4人の交渉団はひとまずほっと胸を撫で下ろした。待ち時間に4人で交渉作戦を練る。まず指定時間に集結しなかったことを詫びる。そして軍人は明日にも来ると約束する。ここまではここへ来る道々4人で考えたのだが、その後の口上が難しい。4人は頭をひねった。
《火工廠には火薬製造設備と約250トンの爆薬がある。住人は軍人のほかに技術者、工員、その家族ら1万人に近い。もし軍人だけでなく、非戦闘員の男子までいなくなったと判れば必ず暴徒が襲撃するだろう。そうなれば工場施設が壊されるだけでなく、何らかのはずみで火薬の大爆発の恐れもある。ここ遼陽まで被害は及ぶであろう。工場を無傷でソ連に引き渡すのは我々の責務であると考える。
技術者までいなくなれば工場の引き渡し作業は誰がするのか。どうか非戦闘員の連行は思いとどまってもらいたい。それでも男子全員の集結を命じられるか、または我々軍使が夜半までに帰隊しない場合は将校全員ハラキリする覚悟である》。
最後の「ハラキリ」のところは格別の工夫だった。もし「全員玉砕」とやって、ソ連軍に即座に兵を差し向けられてはたまらない。ここは世界に知れ渡っている「ハラキリ」にした方がよかろう。博学の川原中尉の知恵であった。