戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

明乳よ、道義に基く企業であれ 17/12/12

明日へのうたより転載

 昨11日10時から東京地裁で明乳事件の口頭弁論があった。9月7日の期日で春名裁判長は会社に和解を打診したが、10月2日、けんもほろろに断わられた。こんな分からず屋の会社は裁判長も初めてなんじゃないかな。それで仕切り直しになった。判決を前提に本格的な主張・立証に入る。

 裁判長の和解打診は、中労委命令の趣旨に基くものだった。命令は申立人の訴えを棄却した不当なものだったが、末尾に「付言」の一項を設け「話し合いによる解決」を会社に要請している。確かに付言には法的拘束力はない。だから会社が話し合いを拒否しても命令違反にはならない。しかしだからと言って「話し合いはしません」「そうですか」で済む問題ではなかろう。

 世の中を律するには法的拘束力のほかに道義というものがあるとおれは思う。広辞苑によれば「人として行うべき正しい道」とある。要するに人の道だ。古来から人間は人の道を踏まえて政治や経済を成り立たせてきた。人の道から外れた行為は歴史によって淘汰されてきた。人の道がそうであるように企業にも「企業として行うべき正しい道」があるはずだ。それはどんな企業も踏まえなければならない。

 企業活動に工場や機械がなければならないのはもちろんだが、それだけで物は生産されない。工場や機械を動かす労働者がいなければ1台の車も1瓶の牛乳もできない。明治乳業が現在あるのは工場で機械を使って営々と仕事に従事してきた労働者あってこそだろう。それは否定できない事実なのだ。

 では明治乳業の64人の本件申立人は仕事をしなかったのか。生産活動に従事しなかったのか。ま他の労働者より幾分口うるさい人たちだったかも知れないが、入社してから40年もひたすら乳製品づくりに携わってきたのは事実だろう。おれの言葉で言えば「会社は40年間労働を搾取してきた」のだ。

 会社から見ればこれら申立人の思想は「アカ」で気に入らないだろう。しかしアカでもシロでも労動力の価値に違いはない。それをどう企業運営に活用するかは会社に任されているかも知れないが、「アカだから仕事をしても評価しない」「話し相手になんかなるもんか」と半世紀も言い続けるのはいかがなものか。人の道に外れていることはもちろん、企業の道にも外れているのではないか。

 おれは明乳経営陣の中に企業の正しい道を志向する人たちが必ず出てくると信じている。そのきっかけをつくるためにも東京地裁が申立人を主張を汲み入れた判決を出されることを切に願う。