戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(29) 17/12/25

明日へのうたより転載

 まず農場関係者を馬車で出発させ、ついで他部署の人たちを近くの部落に割り振った。皆を送りだした後西村中尉は、所員の佐々木、中村とともに朴家溝屯長の弟張福禎の馬車に乗る。管理事務所に備蓄してあった食糧と綿布、それに数丁の小銃と実弾も積み込んだ。馬車から振り返ると東京陵の方角に火事の炎が見えた。

 石橋子から稠井子へ向かう道で先発の馬車に追いついた。道が悪くて馬車がなかなか進まない。荷の重量を減らすため男たちは馬車を降りて歩いた。西村の妻は臨月だった。初産である。揺れる馬車の上で苦痛に耐えているに違いない。西村は気が気でなかった。

 稠井子の部落を過ぎる。東京陵からっ使いが来て「話し合いがついた。玉砕は中止だ。すぐ帰れ」と言う。同行の大部分は引き返したが、西村は「まだ当てにならない。先へ行こう」と佐々木、中村を促して馬車を進めた。

 稠井子の次の部落、陸甲房へ着いたのが26日午前3時。袁肇業屯長が出迎えてくれる。馬車を降りて休憩した。袁屯長を挟んでこれからの行き先を相談。屯長の知り合いで信頼のおける湯さんの家がこの先の高凹というところにある。そこならゆっくり休めるし長居もできる。屯長の勧めでその高凹を目指すことにした。

 高凹へ向かったのは西村夫妻の他、所員の佐々木、中村、小川、吉満、直営農場を営んでいる中島一夫、義勇軍宿舎の世話をしていた河合夫人とそのお子さんたち4人。袁屯長のお声がかりということで湯さんは快く一行を迎え入れてくれた。西村は湯さんの家の周りを素早く見て回る。《もしソ連軍が追ってきたらどこへ隠れるか、どこで応戦するか》。一瞬の油断もならない逃避行だったのである。

 湯さん宅で落ち着くとどっと疲れと眠気が襲ってきた。一行はオンドルの上に寝転がって眠った。目が醒めたのがもう昼時。湯さんの心づくしの昼食に腹を満たす。西村中尉は佐々木、中村両名に東京陵の状況を確かめるためるよう依頼し出発させた。 

 午後4時頃になって西村の妻の腹が痛みだした。初めてのお産なので見当がつかない。袁屯長が急報を受けて産婆さんを寄こしてくれたが話が通じない。何とか通訳のできる人はいても男である。産室には入れない。困っていたら河合夫人が「私は4人も子どもを産んだから何とかお手伝いできるでしょう」と産婆役を引き受けてくれた。西村は涙が出るほどありがたかった。