戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
庶務科の軍属松野徹の8月25日は、午前8時、満人の略奪から町を守る警戒柵づくりから始まった。1時間も経った頃、急に人が右往左往しだした。「ソ連軍の命令で、男子は全員捕虜として連行されることになった」と誰かが叫んでいる。《これは大変だ。柵どころではない》。広場にみんな集まっているというので行ってみると顔見知りが「睾丸のある奴はロスケがみんな引っ張っていくんだとさ」と肩をすくめた。
そこへ政井中尉が現れて「2日分の食料と着替えを持って午後1時にこの広場に集合すべし」と命じるとさつさと姿を消した。納得できないが、嫌だと言ってもどうしようもない。家に帰り、妻子と今生の別れをして再び広場に向かった。広場は喧噪の渦だった。「男が全員いなくなったら残された家族はどうなるんだ」「ロスケの勝手にはならないぞ」「部隊長はどする気だ」。若い人たちの怒号が飛び交う。
45歳の松野は広場の隅で呆然と立っているしかない。しばらく後、林部隊長が遼陽方面から自動車で帰ってきて悲壮な面持ちで群衆の前に立った。「ソ連軍司令官に軍属の連行を思いとどまらせるよう要請に行ったが果たせなかった。諸君に私の権限で自由な行動を認める。軍属の集結命令は拒否する。私はその一切の責任を負って自決し、ソ連軍司令官に申し開きする。今夜12時を期して国民学校に爆薬を運び爆死する。もし諸君の中に同調する方があれば学校に来ることを願う」。
この部隊長宣言を聞いて松野は唖然とした。これまでの部隊最高指導者としての自負も威厳もない。もう既に死地に着いた人の言葉に聞こえた。広場の群衆はシュンとなってそれぞれの方向に散っていった。
松野は家路を辿りながら考えた。《よし、俺も死のう。どうせ敗戦国の日本にこれからいいことはないだろう。あてのない苦難の道を歩くより妻子とともに死ねるならこれも悪くはあるまい。この世に生れて45年、それなりに充実した人生だった。幼い子らは可哀そうだが、子らだけ残っても幸せは望めまい》。
長い夏の日が暮れて夜の帳が降りようとしていた。玄関に人の気配。部下として働いていた森青年が立っていた。「私は死にません何とかして日本に帰ります。帰るにあたり松野殿の長男隆君(10歳)を預からせてください。私の命にかえても隆君を立派に育てます」。松野はこの厚志に甘えようかと心が動いた。しかし森青年が果たして日本に帰れるのか、帰れたとしても苦労をかけることは必至だと思い至り、謝辞することにした。「志はありがたいが、人間いつかは死ぬ。10歳で死ぬのもこれ宿命でしょう」。