戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
旧関東軍と国民政府軍による反共蜂起のデマを、まことしやかに肉付けしたのが「髭の参謀」として在満邦人に愛されていた藤田実彦大佐の名前である。《あの人ならきっと八路軍を追い出してくれる》という願望が居留民を沸き立たせた。その頃当の藤田は家族とともに吉林省白山市に身を隠していた。11月中旬、八路軍の政治委員が藤田のもとを訪れ、デマに踊らされて蜂起を計画している元日本軍を説得してほしいと依頼した。藤田はそれを承諾し、政治委員とともに通化に向かった。
八路軍は11月初め、通化在留日本人の思想教育を目的として日本人を幹部とした「遼東日本人民解放連盟通化支部」(日解連)を設立した。日解連は八路軍の命令下達や日本軍国主義を否定する思想教育などを行った。その日解連が12月23日、「中国共産党万歳。日本天皇制打倒。民族解放戦線統一」をスローガンとした居留民大会を開催。会場は通化劇場で居留民3000人が出席した。
大会議長には元満州国官吏の井出俊太郎が務め「思うことを話し、日本人同士のわだかまりを解いてもらいたい」と自由な発言を促した。まず日解連幹部が「我々が生きていられるのは中国共産党のおかげである」と発言。これに対して居留民からは日解連を非難する発言が続き、中には明治天皇の御製を読み上げ「日本は元来民主主義である」との意見も。会場は異様な雰囲気に包まれた。
近隣地区から避難してきた山口嘉一郎老人は「野坂参三の天皇批判は万死に値する」と痛撃して満場の拍手を浴びた。山口老人は「宮城遥拝し、天皇陛下万歳三唱をさせていただきたい」と提案し、議長の許しを得て万歳三唱を行った。この後、拍手の中を藤田実彦大佐が立って発言したが、中国共産党への謝意と協力を述べるにとどまった。それでも藤田は八路軍に連行され監禁される。過激発言をした山口老人はじめ多くの居留民が逮捕され、処刑された。
通化には元朝鮮人日本兵や現地の朝鮮人で構成された朝鮮人民義勇軍がいて、八路軍とともに関東軍残党の一掃を行っていた。これら朝鮮八路と呼ばれる義勇軍は「(日本併合から)36年の恨み」を口に行動し、日本人への報復は熾烈を極めた。居留民大会後、八路軍と義勇軍は日解連幹部や元満州国官吏への誅求を強めたが、一方、通化奪還を狙う国民党員に煽られ、元関東軍将校らの反共蜂起の陰謀も進んでいた。デマが現実のものとして動き出したのである。
2月2日、航空隊の林少佐は蜂起の情報を掴み、延安から政治委員として派遣されていた前田光繁に伝えた。前田は早くから野坂参三の思想に共鳴して八路軍で活躍し、野坂の二の腕と言われていた。前田はこの情報を中国人政治委員の黄乃一を通じて八路軍総隊長の朱瑞に報告。2日夕刻には八路軍と朝鮮人民義勇軍が共同して緊急配備についた。
通化市内は午後8時に外出禁止のサイレンが鳴ることになっていたが、この日は鳴らなかった。時計を持たない人が8時になったことを知らずに外出して次々に拘束された。その頃、蜂起についての打合せをしていた孫耕暁通化国民党書記長ら国民政府関係者数十人が朝鮮人民義勇軍によって拘束された。