戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

爆風(61) 18/03/19

明日へのうたより転載

 この通化事件だが、筆者は基本的には国共内戦の範疇に属すると見ている。日本敗戦で通化を支配した国民政府が民主連軍(八路軍)に追い出される。その奪還を狙って、旧関東軍勢力を抱き込んで引き起こしたクーデターだ。巻き添えを食って犠牲になった日本人居留民こそいい迷惑だと言える。ちなみに事件の年の末、国民政府軍は通化を奪還し、通化事件の慰霊祭を行っている。

 さて話を通化事件直後の我が火工廠に戻す。
 8・25事件の際浜本宗三らとソ連軍司令官に直訴し、自爆を阻止する働きをした川原鳳策はその後火工廠の研究室で手持無沙汰の毎日を送っていた。2月6日のことだ。ぶらりと諏訪中尉宅を訪問し、雑談しているところへ、蘇文廠長付の長身の男が入ってきて同行を求められた。とっさに逃げようとしたが腕を掴まれ戸外に連れだされる。そこに八路軍のトラックがいて数人の兵士に取り囲まれた。

 無理矢理荷台に引きずり上げられ周りを見ると、驚いたことに居留民会責任者の吹野信平少佐が座っていた。綿服の両袖に中国式に手を差し入れ、黙然と川原を見る。車は走り出した。太子河の橋を渡り、遼陽市内に入る。日本旅館らしき建物の玄関で降ろされ、突きあたりの部屋に入れられた。部屋の中には中国人とおぼしき10人ほどがごろ寝している。吹野、川原の2人はそれら中国人の間に隙間を作ってもらってその夜は寝た。もちろん寝付かれるものではない。

 後で分かったことだが同室の中国人は国民政府軍の捕虜だった。1人は自称中央軍中佐で相当な幹部。その男だけ陸上競技用の砲丸のような鉄球を鎖で足首に繋がれている。用便に行く時は鉄球を抱いて歩いていた。彼らは小銭を隠し持っていて、見張りの八路軍兵士に頼んで菓子や煙草を買ってこさせる。日本人的感覚では理解しがたい光景だ。ある時は中国人の女性が同室させれられたがさすがに翌日は別室へ回された。

 八路軍の兵士は朝夕点呼が行われ、士気高揚のためか必ず歌を唄った。一曲は「共産党(こんさんたん)、他的日本」という歌で「日本軍をやっつけてしまえ」という意味らしい。もう一曲は雪融けの泉が滔々と流れる様をうたった「崑崙山云々」と言い、なかなか心にしみる旋律だ。

 何日かして清水隊の板橋柳子少尉と竹村一郎が捕えられて同室に入れられた。竹村は英語の教師をしていた知識と素養のある青年だ。川原とは西洋の詩歌集の話題などで話がが弾んだ。さらに数日後、堀内某という青年が部屋に放り込まれた。堀内青年は身辺に不安を感じて東京陵から脱出しようとして太子河の橋の半ばで八路軍に捕まった。彼は八路軍の取り調べで「我々共産党は前非を悔い正直に白状した者はその罪を問わない方針だ」と説得され、国民党に誼(よしみ)を通じていた旨申し立てたところ「よく話した。もう帰ってよろしい」と言われたという。その言葉通り堀内青年は翌日釈放されて部屋を出て行った。