戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

「内心の自由」侵害は絶対許せない 18/03/23

明日へのうたより転載

 22日、都議会警察・消防委員会で迷惑防止条例の改悪案が可決された。反対したのは共産党だけ。「都の迷惑防止条例改悪案」「都議会委で可決」「共産党反対」「国民の権利侵害の恐れ」(23日付『赤旗』)。この改悪案は去年国会で強行採決された共謀罪の東京版だとおれは見ている。

 赤旗4面に共産党大山とも子都議の法案に反対する意見が載っている。大山議員はこの法案についていろんな角度から反対する理由を述べているが、特に「内心の自由」を冒す点を重大な問題だと指摘する。

 「重大な問題点は、内心のねたみ、恨みその他の悪意の感情の充足なのかどうかが、犯罪かそうでないすの分水嶺であることです。質疑で内心をどう判断するのかただしましたが、『個々の事案に応じて、法と証拠に基づいて判断する』としか答弁できませんでした。警察の恣意的な判断で犯罪とされ、自白を強要するしか犯罪の立証ができないことになります」。

 共謀罪も迷惑防止条例も発想の根っ子は同じで、何ら具体的犯罪行動に表れなくてもその行為を計画したと認められれば逮捕され刑罰を科せられる。明治時代末期に社会主義者を一網打尽にひっくくった大逆事件の再現となる。戦争中はヨーロッパの音楽をレコードで聴いただけで「非国民」として社会から排除されたのだ。

 本来人間は複雑な内心の揺れ具合の中で生きている。戦前の道徳教育の手本のような、あるいは教育勅語が着物を着て歩いているような人間なんているわけがない。もちろん個々の人間の内心の揺れが犯罪に結びつくこともないわけではないだろうが、刑罰を受けるのは行為の犯罪性であって掴みどころのない「内心の揺れ」なんかであるわけがない。

 それを国家権力の名で「恨み」「怒り」「悪意」などを判断するとしたら、国にとって邪魔な思想や感情を内心の段階で犯罪視することになってしまう。国家による精神の統制である。そんなことできるわけがない、という向きもあろうが、少なくとも戦時中は国策に対する個人の内心の自由が許されなかったことは確かなのだ。

 その反省から憲法13条「すべて国民は個人として尊重される」第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」が決められたのだ。共謀罪や迷惑防止条例を見ていると、戦前回帰の「個の否定」や「内心の自由の否定」がじわりじわりと国民の首を絞めている気がする。