戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
(須本佐和子の手紙の続き)漢口を前にして、美しい揚子江に大阪の街を想像しました。感無量です。革命が成功するのも最早目前に迫っております。でも我々は元々は捕虜なわけですから如何になることやら。しかしどんなことになっても私は日本人として中共軍とともに戦います。立派な薬剤師になって帰ります。日本人男女合計60名余りいますが、まだ外国人には結婚を許しておれません。そのため44歳の方を始めとして全員独身です。
またこの軍隊は、思想の悪い者、日本でいう右翼主義者は、全部、始めから叩き直されます。昔の日本の軍隊とは、全然違った、厳しい軍隊です。我々も戦います。(中略)今宵も美しい星が輝いております。まだまだ書きたいけれど、これにて止めます。この手紙が無事にお母さまの手に渡るよう神様に祈ってぺんを置きます》。所属「中国人民解放軍第三野戦軍 第四〇軍 衛生部野戦第三所」
外国人の結婚について、49年当時は許されていなかったようだが、解放後は結婚が奨励されたらしい。須本佐和子の51年10月25日付の手紙によれば、同僚の藤野看護婦が結婚し可愛い坊やの母親になったことが書かれている。須本自身は一度婚約したが、相手が病身のため取り消している。
52年11月19日発信の須本佐和子の手紙。《ご両親様御許へ お父様お母様からお手紙を頂いてもうすぐ4~5ヶ月になりますが、種々何かと取り紛れ、忙しく今日に至りました。今私、体を少し悪くし、手術を要するので病院に入院しております。別に心配する程の病気でもありません故、気にかけないで下さいませ。病院生活も2ヶ月になりますが、毎日皆様良く面倒を見て下さいますのでいつも感謝しております。
日本人の多くが結婚生活に入っておりますが、生活に何の心配もなく、毎日幸福な日々を送っており、生まれてくる子供は、国家の子とし、育てられ、1人の子供に何万円と保育費がつき、成長すれば、日本人の育児所、幼稚園、小学校、中学、大学と進学でき、教育程度もうんと高く、子供も希望のある将来を望めます。
働けば働くほど豊かになる、楽しい生活、私達もこうして入院しておりましても、入院費もいらなければ、治療代もいらず、給料は普通のように頂け、美味しい栄養価のある食事に感謝しながら、休養いたしております。日本の現在の状況と違って働くものの国は、日一日と豊かになり、私達の生活も益々幸福になって行きます。思いついたまま筆をとりました。皆様お元気で。漢口市 61病院にて》。
須本佐和子はこの手紙の後日本人男性と結婚し、都村佐和子となって1954年7月に帰国している。