戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

JR東労組の組合員大量脱退に思う 18/06/13

明日へのうたより転載

 バリ島から帰国して3日目、溜まった新聞を読むのに骨折った。と言っても連載小説と川柳と赤旗の訃報欄のほかは見出しに目を通す程度だけどね。この間、米朝会談が取り止めになったり復活したりと目まぐるしく、今朝の新聞などは(『赤旗』も)特大の活字で白抜きの大見出しだ。

 そもそも金正恩の親父の金正日の時代から北朝鮮はアメリカとの差しの会談を要求していた。核開発もミサイルもそのための圧力手段だった。トランプがその圧力に負けて会談に応じただけではないか。北朝鮮にしてみればアメリカを引きずり出せれば中身なんかはどうでもいいというわけだ。

 3週間の記事の中では6月7日付の『毎日』夕刊の社会面に注目した。「JR東労組3.2万人脱退」「2月以降 スト予告に反発」。JR東日本の全社員5万6000人のうち4万6870人を組織していたJR東労組が2月から5月の間に激減し、1万5140人になってしまったというのだ。

 『毎日』によれば激減の原因は、2月6日に発したスト権行使の予告に対する組合員の反発だという。「ストライキをやれば電車が止まることもありうる。世の中の流れに合わない主張で、お客様に迷惑をかけるのはおかしい。組合にはついていけないと思った」という脱退者の話を取り上げている。

 JR東労組の源流は国鉄時代の動力車労働組合(動労)である。かつて動労は「順法闘争」と称して過激な行動を繰り返していたが、87年の国鉄民営化に対して突如反対から受け入れに変身、当局と妥協して生き残りを図った。国民の足を守る立場から民営分割に反対を堅持した国労や全動労はJRへの採用拒否や採用された人も運行現場から排除されるなどして組織的に大打撃を受けた。

 動労の変身を指導したのが松崎明である。彼は松戸電車区で組合活動を始めたが、60年安保の時期、極左の黒田寛一(クロカン)と接し反共・暴力集団の急先鋒となる。過激派「革マル」を率いて「中核派」と暴力的に対決する。国鉄内では動労が革マル、中核派は千葉動労に拠点を置いた。

 国鉄民営に賛成して当局に付け入った動労は、労使協調労組鉄労と手を結んでJR総連をつくり、その中の最大労組JR東労組を牛耳る。しかし松崎が死んだ後は当局との関係がぎくしゃくし、ついに当局に見放される。それを察した組合員が大挙逃げ出した、というのが今回の組合員激減の真相なのではないか。