戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
官舎街を案内してくれた工場関係者によれば、「工場も大きくなり従業員とその家族も増えたので、来年にはここへ集合住宅を建てる予定です」という。1年来るのが遅れたら官舎群は取り壊されているところであった。私の脳裏にあの8月25日夜、官舎のあちこちで上がった火の手の光景が蘇った。
小1時間見て回った後、工場内の立派なレストランに案内された。ここは旧火工廠の東京陵第一工場だろう。あの頃私は子どもだったから中に入ったことがなかった。47年後こうして工場内にいることが感慨深い。レストランには我々を歓迎する宴席が用意されていて工場と総工会の幹部が顔を揃えていた。
中華人民共和国成立後、旧関東軍火工廠は国営慶陽火工廠として工場を再開し生産復活を遂げた。そして現在、経済開放路線の中で海外からの資本や技術を導入し遼陽経済特別区の拠点工場に成長。名前も遼寧慶陽化学公司と変えた。職工2万人、技術者2,340人の大企業である。生産品はメインの火薬のほか、化学肥料、石鹸、医薬品、ティッシュペーパー、清涼飲料水など多様で幅広い。
テーブルには豪華な料理とビール、高粱酒が並び、私たち夫婦は主賓の席に座らせられた。中国側列席者は次の通り。
遼寧慶陽化学公司副主任 佟傑然
同 高級工程師 高玉恒
遼陽東京陵経済特区管理委員会副主任 姚鵬山
同 辨公室副主任 翟瀋平
遼寧省遼陽市総工会副主席 王家國
同 国際部連絡部長 鄂志本
工場副主任の歓迎挨拶に続いて、技術者から生産現状の説明があった。中国の人たちが豊かに暮らせるよう生産量をあげている誇りが込められていた。次に総工会代表からは「技術者と職工の生産能力を高めるためには、日本との技術交流が不可欠だ。労働組合同士で手を結んで行こう」と呼びかけがあった。
最後に、司会の姚さんに促されて私がお礼の挨拶に立った。「日本は半世紀前、中国を侵略し支配しようとしました。当然ながらそれは失敗しました。廃墟同然になった旧火工廠を復活され、いま立派に運営されている皆様の国造りの努力に驚嘆しております。本日の歓迎に心からお礼を申し上げます。50年ぶりに原体験を味わいました。私は今母の胎内にいるような安らかな気分です」。どのような通訳をしてくれたのかわからないが、中国側からどっと拍手が沸く。私は涙が込み上げてきた。