戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
第1回が17年10月11日だからかれこれ9か月、やっと「爆風」連載を終えた。連載のきっかけは「関東軍火工廠史」後編だ。去年の春、何かの必要があってネットで「青酸カリ」を検索していた。敗戦直後、満州残留の女性に自決用の青酸カリを配布した記事があって出典は「関東軍火工廠史」となっていた。
本の名前をクリックすると京都の「将軍堂」という古本屋に1冊だけあるという。非売品なのに本体2万円で送料450円だ。ちょっと高い買い物だったがネットで注文したら6月24日、A5版689ページの分厚い本が送られてきた。1980年9月1日発行。発行者は遼陽桜ヶ丘会。代表武井覚一。
7月6日から29日までバリ島にロングステイ。帰ってからじっくり読み始めた。9月半ばに一応読み終わり、さてどうしょうかと考えた。この本をもとにおれの敗戦から帰国までを書いてみたい。それにはブログに連載するのが一番いいだろうという結論になった。それでとりあえず始めた。
とりあえず始めたものだから準備不足は眼に見えている。特に事実認定が難しい。種本が百人を超える人々の証言で成り立っているため、そ人の記憶違いや物の見方で事実の判断が分かれる。仕方ないから矛盾した事実でもそのまま記述した。それにおれの勘違いも。例えば火工廠の面積を1000万坪、3300万㎡と書いたが、いくらなんでもそんなに広くない。1万坪、33キロ㎡の間違いだ。
書いていて一番引っかかったのが人名と地名だ。奉天や遼陽などはいいとして朴家溝、稠井子、韓家墳、錦西などの地名、袁肇業、江涛、韓振声などの人名はどう読んだらいいのか分からない。種本の「関東軍火工廠史」にも振り仮名がふっていない。どうしようもないのでそのままにした。
その他では地名の位置関係だ。遼陽を中心にして北へ瀋陽(奉天)、鉄嶺、開原、四平街、長春(新京)、南に鞍山、海城、大連、東に撫順、海龍、吉林、通化、西に錦州、葫蘆島。ほんとは地図を書けばいいのだろうがおれのPC能力ではできない。冊子にまとめるときには地図をつけよう。
「関東軍火工廠史」はいろんな人が執筆しているが大部分は元将校や火工廠幹部である。おれの親父のような平軍属の目で見るとまた随分違う光景だったのではないだろうか。ほんとは父母の存命中に話を聞いておけばよかったのだろうが、2人とも墓の下だ。勘弁してもらうしかない。
いずれにしても書くだけ書いてほっとしている。これまでの分をまとめたのをつくっているので希望者はこのブログへの書き込みかメール(shosuke765アットマークyahoo.co.jp)で申し込んでください。
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