戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
懐かしい地図を見た。「有楽町すし屋横丁思い出地図」という題で、今年の4月に87歳で亡くなった池田龍夫さんと諸岡達一さんの合作。池田さんの偲ぶ会で配布された諸岡さんの冊子「『池ちゃん』ミニ・ストーリー」の付録だ。偲ぶ会に参加した福島清君がもらってきたのをメールで送ってもらった。
店の名前を見ながら記憶を辿ってみた。あんな狭いところに100軒近くの飲食店がひしめていていたんだから驚きだ。おれが社会人になったのが1956年、毎日新聞が竹橋に移転したのが66年、ちょうどその頃すし屋横丁が取り壊された。こうやって店名を見ていると懐かしさが湧いてくるな。
「思いつきの店」=中華料理「宝来」の2階。餃子専門で、酒は老酒。社会部の板垣さん、小峰さんによく連れて行ってもらった。その頃のおれは下駄ばきで、生意気な議論好きだった。
「板門店」=焼き肉店。他の店より値段が張るのでそう頻繁には行けなかった。
「丸八食堂」=とにかく安い。ここを起点に池袋や新宿にのした。地下鉄丸ノ内線が新宿まで延びた。
「三友」=本格的な居酒屋。活版の飯沼さんや川崎さんについて行って何度か飲ませてもらった。
「千鳥」=ゲテモノの店。カエルや蛇を食わせた。誰と行ったのかな。輪転の仲間ではないな。
「元禄」=ここが輪転の巣。渦巻正宗と称した合成酒。底に渦巻のある湯飲み茶わんで飲ませる。3杯が限度でそれ以上飲むと頭が渦巻いてぶっ倒れる。一皿70円のイカサシが美味。
「満腹屋」=横丁の角っこのソース焼きそば専門店。懐の寂しいときはここの大盛で空腹を満たす。
「中村屋」=桝酒2杯限り、料理一品100円(200円だったかな)均一。店主が気取っていたよな。
すし屋横丁は都有地だったんだな。取り壊した跡に都が交通会館を建てた。そこへすし屋横丁組の一部が優先入居した。交通会館の5階に都労委事務局があり、おれは77から91年の新宿移転まで通った。地下1階にはすし屋横丁にあった店が入っており、昼飯や夜の一杯に立ち寄った。名前を挙げてみる。
とんかつ「大正軒」、麦とろ「吉田」、すし「照寿司」、長崎ちゃんぽん「桃園」、お酒・加茂鶴「ひろしまや」、甘味「おかめ」、生そば「萬留賀」、洋風居酒屋「山楽」・・・。
すし屋横丁で一緒に飲んだ先輩たちはもちろん、中には同期、後輩も多くがあの世へ行ってしまった。