戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
過日、イナゴの佃煮を買いに三ノ輪へ行った。松戸から千代田線に乗って町屋で東京で唯一残った路面電車に乗り換える。終点の三ノ輪橋まで。停留所から徒歩30秒のところに老舗の佃煮屋。店先に誰もいない。声をかけるとお姐さんが現れた。イナゴとゴリの佃煮をワンバックずつ、千円でお釣りがくる。
近くのジョイフル三ノ輪商店街を歩く。中ほどにこれも老舗の蕎麦屋「砂場」。格子戸を開け暖簾をくぐる。3歳くらいの女の子を連れたお母さんと常連らしいおばあさんの2組の客。生ビールと天ざるを頼む。それから自家製のお新香も。ゆっくり飲んでゆっくり食べて、蕎麦湯も飲む。満足。「砂場」を出て、明治通りを渡って横丁に入る。去年の秋に店仕舞いした居酒屋「中ざと」の方向に足が向く。
おれはこの店のことを08年9月発行の新聞OB会誌「オレンジの旗」に書いた。もう十年以上も前の暮れも押し詰まったある夜の話だ。おれがチューハイ・レモンをぐいぐいやっていると、職人風の数人の男たちの会話が耳に入った。「ところで松の野郎死んだんだってな」と親分肌が言う。
「『日本の夜明けは近い』とかなんとか言いながらせっせと赤旗新聞配っていたけどな。酒は弱いけどいい奴だった。仲間の面倒見もよかったよな。おれは共産党も金平糖もあんまり縁がねえけど、松の野郎だけは本物の人間だった気がする。本物の人間ちゅうのもおかしな言い方だが、ま、ニセモノじゃねえってことよ。松の野郎に献杯だ」とコップを掲げる。おれは何故か涙が滲んだという思い出話だ。
「中ざと」の建物は、入口にぶら下がっていた赤提灯がなくなっただけでそのまま残っていた。家の周りの植木類が手入れされずに放置されているらしく、鬱蒼と茂っているのが寂寥感を誘う。2階には人が住んでいる雰囲気だ。主人夫婦が2人で暮らしているんだろうな。
最盛期には主人夫婦が板前とお運びさんを雇って切り盛りしていた。あの頃は賑やかだったな。注文の声が飛び交い、おかみさんがてきぱきとさばいていた。夫婦には男の子がいたと思う。その子に店を継がせようとしていたらしいが、外国へ行ったきり帰ってこないという話を聞いた気がする。
時計を見たらまだ1時、これから浅草へでも足を延ばそうとも考えたが熱中症が心配だ。地下鉄日比谷線の三ノ輪から北千住へ出て家へまっすぐ帰ってきた。おれも年を取ったなあ。