戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

「生産性」をテコにした労働者弾圧の歴史 18/08/06

明日へのうたより転載

 自民党の杉田水脈(みお)衆議院議員が同性愛のカップルを「生産性がない」と決めつけて大問題になっている。昨夜も渋谷で抗議集会が行われ、若者をはじめ大勢が参加した。同性愛を認めないのも酷い話だが、おれは政治家が人間の多様な生き方を否定することが根本の問題でと思っている。

 それはそれとしておれがここで取り上げたいのは彼女が使った「生産性」という言葉についてだ。最近、「働き方改革法案」と絡んで「生産性」という言葉がよく出てくる。日本の生産性が低いのは年功序列のせいだから成果型に制度を変えなければならない、というわけだ。

 財界から生産性と働き方の関係が最初に提起されたのは1950年代だからもう60年も昔になる。当時の日経連の肝いりで1955年に「日本生産性本部」が設立された。この生産性本部がまずやり玉に挙げたのが年功序列賃金である。大して仕事をしてなくても勤続年数で賃金が上がるのは不合理だという理屈で、職務・職能給の導入を促した。これをいち早く取り入れたのが独占大手の鉄鋼と電機産業である。

 ときあたかも60年安保闘争を挟んだ労働運動高揚期。日本経済は高度経済成長の真っただ中。元気のいい労働運動か経済成長の恩恵で脇の甘くなっている経営者を圧倒した。これではいけない、日経連は必死に対抗策を考えた。それが生産性向上運動である。職務・職能給のほかに提案制度とかHR(ヒューマンリレーションズ)運動とかが職場で実施された。生産性の物差しで労働者の選別差別が厳しく行われた。

 生産性が上がれば賃金も上がるという理屈はそれなりに説得力があった。ストを打って賃金を上げるより生産性を挙げた方が賃上げへの近道ではないか。「豚は肥らせて食え」というわけである。こうして労使協調の労働組合が、鉄鋼、造船、自動車、電機などの基幹産業に生まれていった。
 
 そしてついにたたかう労働組合を潰すことが生産性向上の早道だということになる。それが職場で顕著に表れたのが国鉄のマル性運動である。1970年、国鉄当局は職員管理室と能力開発課を設置し管理職が中心になって、それまでの労働慣行の破棄、職場団交権権の否定に狂奔した。国労はこの時の反マル生闘争では勝利したが、15年後の国鉄・民営分割で組織攻撃を受け少数組合に突き落とされる。痛恨の歴史だ。

 「生産性」という言葉を使った資本・国家権力の攻撃は今も昔も変わらない。問題は労働者・国民がそれにとう立ち向かうか、ということだとおれは思う。