戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
もうすぐ8月15日、敗戦記念日である。新聞やテレビがそれなりに特集的な取り上げ方をしているが、年々色あせているというのがおれの実感だ。そんな中でおれより5歳年上の作家、早乙女勝元さんのインタビュー記事を読んだ(『週間金曜日』8月10日、17日合併号)。
タイトルは「『伝わりにくい時代』に戦争と敗戦をどう語り継ぐか」。早乙女さんは「伝わりにくい」ということの証拠として二つの例を挙げる。「『真珠湾から攻撃が始まった』と話すと、『三重県かなあ』なんてね。真珠がとれるから」「(ある大学に講演に行ったらタイトルが空襲の)襲の字から衣が抜けて『東京大空龍』。怪獣みたいで、とたんに気抜けしましてね(笑)」。
早乙女さんは「戦争体験者がいなくなるこれからは、『追体験』しかできません」と指摘する。それを日本人は怠ってきた。「だから戦争体験を思想化できずに今この段階にきてしまった。思想化とは、戦争体験がその人の生き方に結び合うものになっていたか、ということです」。
「そこが草の根分けてもナチスの残党を探すドイツとの違いでしょ。日本では東条英機内閣の閣僚だった岸信介が総理になり、東京大空襲の指揮官カーチス・ルメイが航空自衛隊育成の功とかで勲一等旭日大綬章を受けてるんですから」。ほんとだ。おれもひどい話だと思う。
じゃあもう手遅れかというと「そうではない」と早乙女さんは言う。「この国が新たな『戦前』に突入しつつあるとはいっても、『戦争やめよう!』と集会で叫んだ後、『ご苦労さん』で一杯やって帰れるでしょ。あの戦争中にそんなことしたら無事に帰れませんよ。群衆から袋叩きにあう。この非国民め、国賊め、って。それで特高警察に引き渡されるのが落ちです」。
「今はまだそこまで行ってません。小さな勇気の積み重ねで、大きな勇気、深刻な勇気を必要とする事態を未然に防げる余地がある日々です」と早乙女さんは最後に訴える。「諦めちゃいけない。諦めた時が、終わりですから」。その通りだ。おれも諦めない。そんな気持ちで1年かけて「爆風」を書いた。今それを冊子にしようとして悪戦苦闘している。