戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
『毎日』の企画記事「平成という時代」が面白い。9月26日付は10年前に問題になった「派遣切り」を取り上げている。「親に負い目孤立深め」「『リズム狂えば全て失う』」「『つながりで生きている』」。2008年のリーマンショックで派遣切りに遭った名古屋在住のタロウさん(仮名)のその後。日雇い派遣で食いつなぎ、繁華街栄の高架下で週1回行われる炊き出しの列に並ぶ。
記事の中で08年末に行われた「年越し派遣村」にも言及している。この運動に支援する側として参加した司法書士の力丸さんは「メディアに大々的に報じられたが、『ブーム』が過ぎると関心は薄れ、相談窓口に加わる法律家の数も減っていった」「大変な世の中になっていることを社会に示したのはよかったが、困っている人たちの行方を決めることなくみんないなくなってしまった」と嘆く。
08年の年末年始に救援を求めて日比谷公園に集まった貧困者は500人、支援者は1300人、支援カンパは2300万円と言われた。この運動自体は凄いことだし、ある意味では東京都や政府・厚労省を動かした(都は翌年官製の派遣村を開催した)。しかしそのうち下火になり火は消えた。
『毎日』記事の司法書士力丸さんが言う「困っている人たちの行方を決める」とはどういうことか。それを探ることによって「火が消えた」原因に迫ることになるような気がする。
日比谷の派遣村に同調して全国各地で同様趣旨の運動が広がった。松戸や柏の駅デッキでも派遣村活動が取り組まれた。相談や救援を求めて来る人は確かに多かったが、いわゆる労働相談ではなく生活相談が主で結局生活保護を受けることを勧めるだけだったと支援に参加した人から聞いている。
これだけ貧困が社会にはびこっているのだから、その日の食事を与えるとか、生活保護申請を手伝うとかも大事な仕事だろうが「派遣村」の趣旨とはだいぶ違うのではないか。派遣切りは自然現象ではない。資本が自ら招いた経営困難を労働者の犠牲で乗り切ろうとして行う、いわば人災である。人の首を切ってニンマリしている奴がいるに違いない。そいつへ向けてたたかいの矛先を突きつけなければならない。
派遣切りをした大手自動車会社を取り巻くデモ・集会とか、日本縦断の貧困突破大行進とかができなかったか。1970年代のはじめ、東京の中心部を労組の赤旗で埋めた「東京総行動」が行われた。当時の日経連本部(現日本経団連)や商社の丸紅、倒産解雇の大映本社などを包囲して抗議の声を上げた。あの勢いを再現できないかと嘆く今日この頃である。