戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

危険な天皇の「引退花道」づくり 18/09/30

明日へのうたより転載

 『週間金曜日』(9月28日号)の清水雅彦「『護憲天皇』の美化と神格化」を読んで目からうろこが落ちた気がした。おれは前から天皇の生前退位なるものについてモヤモヤしたものを感じてはいた。ま、どうせ「象徴」なのだから辞めようが辞めまいが勝手にしろ、と突き放して済ませておいたのだが、そんなどうでもいいことではなさそうだ。「天皇の退位等に関する皇室典範特別法」という法律までつくって平成天皇の引退花道を飾るのはどうやら憲法違反のようだ。そう聞いて思わず胸がスーッとしたね。

 そもそも平成天皇の言動にいちいち感動するマスコミや、いわゆるリベラ層まで含めた世論なるものがおかしいのだ。清水教授は言う。「このところ、明仁天皇の『護憲』や『平和』についての『おことば』、あるいは『慰霊の旅』を評価するリベラル派や『護憲派』の言説をよく耳にします」「確かに、この間の昭仁天皇の発言は『平和志向』が強いように思われ、『安倍一強』と呼ばれるような時代で、平和運動に参加しているような市民でも天皇に期待してしまうのでしょう」。

 その通りだ。かく言うおれの近辺でも平成天皇の言動を盾に安倍批判をする向きがある。「天皇さえ言っておられるのにお前はなんだ」というわけだが、それは「天皇の権威にすがって」ものを言ってるだけではないか。昭和天皇は悪かったが平成天皇は良い、という属人的評価は許されないのではないか。

 天皇が生前退位したいという理由は、遠隔の地や島々への慰霊の旅、災害地慰問、国体や植樹祭への出席などなどの「公的行為」(天皇の言葉では「務め」)が果たせなくなったからだという。憲法で天皇の行為として定められているのは限定された「国事行為」だけだ。ほかはしんどかったら止めればいい。

 ところが平成天皇は取りやめはできないと次のように言う。「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」(2016年8月8日の天皇メッセージ)。

 つまり現行天皇制が「途切れることなく安定的に続く」ことを念じるからだ。清水教授はこのメッセージについて「象徴天皇制を未来永劫にわたって続けさせようという、明仁天皇のしたたかな戦略すら感じられます」と指摘する。この指摘は真相をついているようにおれは思う。

 憲法上主権は国民にあるのであって、天皇の意思が新しい法律までつくらせるのは国民主権への侵害ではないか。行きつく先は「天皇の神格化」であるように思われても仕方がない。