戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
今年の漢字は「災」と発表された。おれが前回ブログで予想した漢字の中の一つだ。おれとしては「働」にしたかったのだが・・・。ということで今年も残りわずか。新聞・テレビでは平成最後の年ということで「30年回顧もの」が盛んだが、おれとしては天皇の在位で時代を区切るのだけはしたくない。
それはそれとして今年のおれはどうだったか。80歳台に乗っかって1年目、老いの目立つのは仕方ないとしてせっかく生きているのだから少しは張り合いを持ちたい。その点、3月に白内障の手術をしたのは正解だった。文字通り「目からうろこ」が落ちた気がする。新しい人生が開かれた感じだ。
5月から6月にかけてバリ島・ウブドに3週間のロングステイ。去年に比べると腰の痛みがうそのように消えた。かなり遠くまで散歩できたのも嬉しかったが、何と言っても福島君に教わってフェースブックを立ち上げたこと、バリ島から毎日発信できたことが特筆される。皆さんからたくさん「いいね」やコメントをもらった。それが癖になって帰国後もすっかりはまっている。おれの生き甲斐になった。
労働委員としておれが一番思い入れの深い石川島播磨事件。争議団も弁護団も支援者もみんなおれより一枚上の人たちだった。その人たちが年々欠けていく。去年の豊ちゃんこと豊田信雄さんに続いて今年は9月に茂木愛康さん、11月に稲田年男さんが亡くなった。2人とも争議団ではなかったが、石播出身の共産党幹部として争議を指導した。そう言えば労働争議を知る共産党幹部もいなくなったよな。
訃報と言えば新聞労連の書記さんだった大手勉君、長谷晴代さんも逝ってしまった。特に長谷さんとは30年の付き合いになる。よく一緒に飲んだよな。彼女は離婚したのにその元夫が舌ガンで身寄りがないため面倒を見ていた。酔ってかなり危ない話もした。もちろんそんな関係にはならなかったけどね。
11月に明乳事件の東京地裁判決があり予想通り敗訴だった。この事件、元はと言えば96年の都労委市川工場事件棄却・却下命令がずっと祟っている。おれが担当労働者委員だったからおれは戦犯だと言われている。担当した事件で唯一未解決の事件だ。死ぬまで付き合わなければなるまい。
去年中に新聞OB会、同九条の会、マスコミ九条の会などの役職を辞め、都内に出る回数がめっきり減った。だからといって内に籠ってばかりはいられない。まだまだ出歩くつもりだ。