戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

労働組合の存在を思い知らせる春闘を 19/02/08

明日へのうたより転載

 「働き方改革」「外国人労働者」「毎月勤労統計」。三つの共通項は「労働」。国造りに労働は欠かせないのだから、国会で論議されるのは誠に結構だと歓迎する。ただし論じられている内容はいかにも低い次元の話で、労働への感謝とか尊敬とかがまるで感じられない。特に政権側の姿勢が酷い。

 安倍晋三政権は労働の価値を故意に貶め軽んじている。労働に従事する労働者に対し、国籍を問わず冷酷無残な待遇しか考えていない。非正規労働者も外国人労働者も働くだけ働かせて使い捨て。そのくせ労働の成果は独り占めして労働者からかすめ取る。やらずぶったくりの魂胆丸出しなのだ。

 何故こんなことになってしまったのだろう。いろいろあるだろうが、労働組合運動の地盤沈下も原因の一つではなかろうか。早い話が今目の前に迫っている春闘だ。春闘を始めたのは労働組合だし、その主役は労働組合のはずだった。ところがここ数年「官製春闘」の名の通り政権側に主役を持っていかれている。

 「官製春闘お断り」の声が聞こえたと思ったら、発言したのは日本経団連の会長さんだった。「賃上げは労使交渉で決める。政府の口出しはいらない」。こんなセリフを財界側から言われているようではほんとに情けない。今度は財界に春闘の主役を持っていかれそうだ。労働組合の影は薄い。

 資本主義社会はきちんとしたチェック機能が働かないと暴走する。労働組合はマルクス・エンゲルスの時代から歴史的にチェック機能を果たしてきた。何故果たせたか。憲法28条に明記された「団体行動権」があったからだ。つまり労働組合の言うことを聞かなければストライキをするぞということだ。

 日本の労使関係からストライキという言葉が消えて久しい。1970年代から尻つぼみになって、総評解体・連合結成の1989年で絶滅品種になってしまった。今でも個人加盟組合や地域ユニオンがしこしこと資本の横暴に対抗している。しかし、社会を揺るがすような交通ストや工場ストは望むべくもない。

 去年の国会で論じられた「働き方改革」「外国人労働者」、今年に入って大問題になっている「毎月勤労統計」。どれをとっても「労働」の価値に対する軽視が著しい。労働が尊重されない社会は進歩がない。それを支配層に思い知らせることができるのは労働組合しかない。19年春闘で労働組合の底力と労働者のど根性を示そうではないか。