戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

お彼岸に墓参りをしてきた 19/03/22

明日へのうたより転載

 昨21日お彼岸の中日、お墓参りに行ってきた。今年は、93年4月に死んだお袋の27回忌に当たるそうだ。「そうだ」と他人事のように言うのはおれにはその自覚がなく、菩提寺の元三安楽寺からのお知らせで知ったからだ。お寺さんは「法要はともかく卒塔婆だけは建てたらどうか」と勧める。そうすることにした。お袋のと先祖代々のと2本組、妹2人分と合わせて6本頼んだ。1本5000円。

 午前9時、女房の運転で出発。6号線に出て柏市街を通り抜け新利根橋を渡ってふれあい道路。守谷を抜けて水海道へ。63年前に卒業した水海道一高を右手に見ながら通過して鬼怒川にかかる豊水橋を渡る。小雨がぱらついたが10時40分に無事お寺に到着。卒塔婆を車に積み込んで大生郷のお墓へ。

 おれはこの地に、満州から引き揚げてきて高校を卒業するまで10年間暮らした。満州時代が幼時成長期とすれば水海道は少年から青年へのいわば人間成長期。ここでおれの原型が形成された。お墓は内久根墓地といって親父の先祖から受け継がれてきた。父母はこの地で生まれたが結婚して東京へ出ている。

 雨が上がって初夏のような太陽が照ってきた。仏花を飾り線香を上げ墓石の後ろに卒塔婆を建てた。この墓は15年前におれが建て直した。前の墓は幸七という親父の祖父が建てたもので、今にも崩れそうだった。生前親不孝ばかりしていたお返しにと建て直すことにしたが手間もお金もかかった。

 その頃まだ生きていたA叔父さん(母の弟)に相談、地元の墓石店を紹介してもらった。墓石工事の費用は最終的に168万円。これに抜魂式、入魂式などお寺関係のお布施類に計25万円。姉妹、親戚を招いての法事費用などを含めると200万円ほどの出費になった。そのかわり周囲の墓の中でも一段と立派だ。

 卒塔婆を建てた後、A叔父さんの子ども(おれの従弟)の家へ寄って休憩した。従弟の嫁さんにはお墓の管理を頼んでいる。A叔父さんは10年前に亡くなった。おれたち一家が満州から引き揚げてきてこの地に厄介になるについては、A叔父さんやお袋の父親(つまりおれの母方の祖父)には大変世話になった。そんな話をしながら嫁さんの手料理でビールをご馳走になり、いい気持になった。

 「隣で眠らないでよ」と女房にくぎを刺されながら帰途に就く。風が強くなってきたが気温はぐんぐん上がる。眠気をこらえるのは至難の業だ。考えてみるともう親父の死んだ年はとっくに越え、お袋の享年に近づきつつある。これからどのくらいがんばれるかな。午後3時無事帰着。女房殿ご苦労さん。