戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)海外旅行・ハンガリー(2001年)① 16/10/05

明日へのうた]より転載

  いよいよ21世紀。平和で豊かな時代を期待したがそう簡単には問屋が卸さなかった。あの衝撃的な9.11同時多発テロ直前の8月1日から11日までウィーン、ハンガリー、プラハを旅した。メンバーは出版の吉田、都築、塩田、上野、油田、生駒夫妻、元東電の大坂、小林、じん肺弁連の田中、元エールフランスの小林、豊島区労協の清水、広告の江草母子、それに新聞の井川夫妻、戸塚夫妻、小倉、横田の計20人。

 1日午前に成田を発つ。清水さんや大坂さんと機中サービスのワインをグビグビやりながら11時間の空の旅。夕方ウィーン空港に着き5時過ぎにホテルへ。その夜はホテル内のレストランで夕食。旅の疲れもあって例の悪童どもとの飲み会もせず早めに寝たが、暑苦しくてなかなか寝付かれなかった。

 「ハンガリーの創設は896年。初代国王イシュトバーンの先祖のアルバートが6人の部族の長とともにこの地に入ってこの国をつくったとされている。イシュトバーンはハンガリーをキリスト教の国にしなければ国の将来はないとキリスト教の伝道に努めたけれども、せがれが幼いうちにイノシシに襲われて死亡。後継者がいなくなり、神よ誰にこの王冠を渡したらいいのかと嘆いたとされている」

 「結局妹の息子に王位を継承させるのだけれど、これが間もなく異教徒に殺されてしまう。それでイシュトバーンと一番仲の悪かったいとこのせがれが王位を継ぐことになる。だけどもこのいとこのせがれというのが出来が悪い。結局権力争いだけやって本来の国家の建設には手がつかなかった」

 「その後モンゴルやオスマントルコに占領されていたけれども、18世紀になってオーストリアのハプスブルグ家がハンガリーを支配するようになった。18世紀の初めにハプスブルグの支配から独立しなければいけないということで、ラコーツィという人が独立戦争を始めるのだが結局失敗をする」

 「18世紀はこのハプスブルグとハンガリーの二重帝国時代といわれているが、ここでもう1人の独立戦争の英雄コシュートが現れる。かれはいいところまで行くんだけれども結局1848年、やはり負けて亡命をさせられる。亡命先でもハンガリー独立に向けてがんばった。ブダペストの英雄広場に像が立っている」

 「さらにもう1人ハンガリーの他国支配とたたかって死んだ英雄がいる。1956年にソ連に歯向かったいわゆるハンガリー動乱、これを指導したナジ・イムレである。56年10月25日、議事堂の前で演説する。そこへソ連の戦車がやってきてナジは捕えられ処刑されてしまう」。