戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)海外旅行・ハンガリー(2001年)④ 16/10/17

明日へのうた]より転載

 ハンガリー旅行③に思い違いがあった。ブドウ畑のある市長さんの別荘へ行ったのは8月4日で、5日は夕方ブダペストに着き、夕食はブダ地区の民謡酒場でとった。賑やかに盛り上がった。

 6日午前、世界遺産の古い村でおばあさんたちの歌声を聞く。これはテープに録ってあるがひなびた味のある民謡だ。おばあさんたちの白と赤の民族衣装が可愛いい。歓迎のパーリンカに昼前から酔っぱらった。夜は市内で中華料理、食事後9時からドナウ川の舟遊び。左右両岸の建物もくさり橋もライトアップで浮かび上がっていた。「こんな鎖に縛られて見たい」と言ったのだが誰にも相手にされなかった。

 7日朝、市場をひと巡りした後国会議事堂へ。《国会議事堂の中です。赤絨毯が敷き詰められています。議員は380人。思ったよりも小さいけど議員控室はきらびやかで立派です。ガイド兼通訳のガールさんの説明によると、建築時大理石が足りなかったので偽物の素材を使っている場所があるそうです》。

 昼飯はブダ地区の古いレストラン。地下に穴倉があって世界の有名人のシャンパンがボトルキープしてあるという。穴倉に降りてシャンパンのおすそ分けをいただいた。午後はエリザベートの館を見学。エリザベートは同じハクスブルグ家の中でもハンガリー人に親しみを持たれていた。夜はサヨナラパーティ。

 8日は朝早くホテルを出て空港へ。9時半にチェコのプラハに着く。まずプラハ城へ向かう。城の中の教会に4トンの銀を使ったという棺桶がある。実は2トンしか使わなくてあとの2トンは地下に貯蔵してあるそうだ。棺桶の中には懺悔の秘密を守るため牧師が生きたまま入ったというんだがホントかな。

 ガイドしてくれたチェコ人の若い女性。顔は可愛らしいのに言うことは凄まじい。「(共産党政権時代)財産を持ってた人は全部取り上げられて、住む所もなくなっちゃったんですよ。あなたはここから出ていきなさいと言われて、着たまんま冬でもコートも着せられないでトラックに乗っけられて馬小屋みたいのところでお前はここで住むんだと降ろされた。宗教関係の人たちはみんな牢屋に入れられた」

 「一番酷い時期は1950年代の始まりなんですよ。ご先祖さまたちが血の汗流して守ってきた小さい畑、麦畑も全部取り上げられてしまった」と彼女の弁舌は留まるところを知らない。