戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)日露領土交渉と浅田次郎「終わらざる夏」 16/10/20

明日へのうた]より転載

 18日、日本共産党は「日露領土交渉の行き詰まりをどう打開するか」という提言を発表した。提言の(2)で共産党は「国後、択捉は千島列島にあらず。だから返還せよ」との日本政府主張が国際法的にも通用しない、と言い切っている。この姿勢を抜本的に再検討すべきだというスタンスである。

 おれはこれを見て、つい最近読んだ浅田次郎の「終わらざる夏」が思い浮かんだ。集英社文庫で上下2冊、728ページの長編である。「終戦直後の〝知られざる戦い〟を舞台に『戦争』の理不尽を描く歴史的大作」なのだそうだ。舞台は千島列島の最北端、カムチャッカ半島の鼻先にある占守島である。

 占守(シュムシュ)島は南北30キロ、東西20キロほどの、千島列島には珍しい平坦な島だ。ここに太平洋戦争終結時「最新鋭の戦車聯隊と1個師団1万5000の将兵」がいた。当時の大本営はアリューシャン列島の失陥後、北からアメリカ軍が進攻してくると予測。それをを食い止めるための部隊だった。

 千島列島は最北端の占守島を含め日本固有の領土であった。明治維新頃までは樺太も千島も日露混住の地域だった。日露それぞれに国境画定の必要を認め1875年(明治8年)、「樺太・千島交換条約」を結んだ。この条約により日本は樺太に対する権益を放棄する代わりに千島列島を日本領土に画定した。

 浅田次郎「終わらざる夏」によると、明治政府が熱心に千島統治をすすめたため、郡司成忠海軍大尉が「報效義会」(ほうこうぎかい)なる集団を率いて占守島へやってきたという。いろんな困難を乗り越えてこの地に定住するようになった。先住民や島周辺で漁をするアイヌとも共存してきた。

 1945年8月15日に日本は降伏したのだが、その3日後の18日にソ連軍が戦争を仕掛けてきた。最初ベルリン戦線から指し回した劣勢な部隊に攻撃させておいて、日本軍がやむなく反撃に出ると本格的な戦争に持ち込んだ。小説の主人公たち(ソ連兵も含めて)はあらかた戦死してしまう。

 生き残った若い医師菊池が抑留されたシベリアで冬を迎えるところでこの小説は終わる。菊池は「どれほどいじめられても、生きなければならない」と決断する。「おのれの身をやすやすと見限るほど、人の命を助けてはいない」。菊池医師は今も存命なのだろうか。生きているとしたら昨今の安倍政権によるロシアとの領土交渉をどんな思いでみつめているのだろうか。