戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)豊友会はおれのライフワーク 16/11/21

明日へのうた]より転載

 昨夜地元の地酒の会「豊友会」の例会があって43人が集まった。今回が169回。立ちあげが1988年3月だからもうすぐ29年になる。おれは2002年3月17日の第81回からの参加。当時おれは松戸市長選(6月23日投票)に立候補して選挙運動中だった。五香・白樺書店の青柳さんが、なるべく地元に顔を売っておいた方がいいといって連れて行ってくれた。何しろ酒の会だ。すぐ溶け込んだ。

 おれが入会した年、豊友会は鴨川の大山千枚田友の会に入った。田植え、草刈り、稲刈り、収穫祭には10~15人が2時間半かけて鴨川まで出かけた。これらにほぼ毎回参加するうちに会の運営の集まりにも呼ばれるようになる。09年1月から10年12月の2年間は第11代会長もやらせてもらった。

 会長といっても乾杯の前に挨拶するくらいの役目しかないが、おれはそれなりに会のために働いた。まず黄色の生地に黒く「豊友会」と縫いとりしたノボリをつくった(もっとも縫いとりしたのは女房だが)。08年からは常盤平桜まつりに合わせて「花見の会」を催し、おれが下準備した。

 09年には6月と12月に箱根の毎日新聞強羅保養所で親睦旅行をやった。この世話人活動は結構手間ひまがかかったがその分参加者に喜ばれた。12人と15人が参加した。小田原「だるま」で食った昼食の鯵寿司も忘れられない。11年10月には大山千枚田の人たちも加わって18人参加という盛況だった。富士山が見事だった。ちなみにこの2年後、強羅保養所は健保組合の都合で閉鎖されてしまった。

 会長を降りて、かねてから考えていた交流会報づくりに着手した。新松戸に住んでいて地元の地域誌にエッセイを書いている大井さんに相談。やってみようということで11年3月に『豊友』創刊号を発行した。A5版4ページ100部。2号までは事務局の友野さんに刷ってもらったが、3号からはおれが自分で刷ることにした。カラー印刷にして写真をふんだんに使い見やすくした。

 友野さんと相談して作成経費として1部あたり4ページ10円、6ページ15円、8ぺーじ20円もらうことにした。それでも赤字かも知れないが、半分おれの趣味なのでそれで十分だ。『豊友』は今年の11月号で37号になった。継続は力なりというわけで、すっかり会に根付いている(と自賛している)。

 というわけで豊友会はおれのライフワークになりそうだ。昨夜もさんざん酔っぱらった。自転車では危ないので女房に車で迎えに来てもらった。ますます女房に頭が上がらなくなるが命には替えられない。