戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)「共謀罪」と過去2件の治安立法 17/03/31

明日へのうた]より転載

 3月21日、「共謀罪」法案の国会上程が閣議決定された。これから国会内外で熾烈な攻防が始まる。過去3回も国会に提出され、猛反対にあっていずれも廃案になった戦後最悪の治安立法だ。国民の大運動で叩き潰すためにも、歴史の教訓として、戦前戦後の二つの同種法案について触れたいと思う。

 一つは1922年(大正11年)に高橋是清内閣が国会上程した「過激社会運動取締法案」である。17年のロシア革命に刺激され、日本でも大正デモクラシーと呼ばれる民主運動が盛んになる。特に20歳以上の男子全てに選挙権を与えるよう求める普選運動が全国に広がる。これを阻止するためだ。

 この法案は余りにも露骨だったため、労働組合や言論界が中心になった反対運動で廃案になり、高橋内閣は総辞職する。《ちなみにこの年の7月15日、堺利彦を委員長とする日本共産党が誕生》。政府は過激運動取締法を治安維持法と名前を変えて25年(大正14年)2月、普通選挙法と同時上程し、成立させた。

 二つ目は戦後16年経った1961年(昭和36年)2月に池田勇人内閣が国会に上程した「政治的暴力防止法案(政暴法)」である。いうまでもなく前年は安保反対闘争で全国的に労働者、農民、市民の運動が燃え広がった。安保改定は強行されたが岸内閣は総辞職し、日本の革新運動は絶頂期を迎えていた。これを抑えるべく「テロ行為を防止するため」と称して自民党が議員立法で国会に上程した法案である。

 法案は政治的暴力行為を「政治上主義を推進して、殺人、傷害、逮捕監禁、強要、器物損壊、政府中枢施設への不法侵入による暴行」「特定人物を殺害することの正当性を主張する行為」と規定。さらに「将来継続または反復して政治的暴力行為を行う明らかな恐れがある団体」「殺人を犯した政治的暴力団体」「将来または反復して殺人を行う明らかな恐れがある場合」は団体解散などの規制ができるとした。

 法案上程の62年2月当時、おれは24歳で新聞労連東京青年婦人協議会議長。7月からは地連書記長(非専従)になった。連日国会周辺の政暴法反対デモに新聞労連旗とハンドマイクを担いで参加した。ある日のデモでは首相官邸前で機動隊に分断され、孤立して道路に座り込んだ。しばらくしたら「部隊で排除する」との宣言と同時に警棒で小突きまわされながら虎ノ門の特許庁前まで押しまくられた。

 ハンドマイクは壊れ、履いていた下駄のハナオは切れ、裸足で新橋まで歩いた。そんなたたかいがあって政暴法は衆議院では可決されたが、参議院で採決されずに廃案になった。