戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
10~12人の参加を予定してバリ島旅行のお知らせを出したところ、予想の倍以上の参加希望がありびっくり。光森さんと相談の上、①09年1月25日~31日、②2月1日~7日の2班にし、おれは2週間パリに滞在することにした。第1班は東電グループ7人、日立の篠田夫妻、出版の4人とおれで14人。第2斑は新聞グループ8人に全税関の牛越夫妻、松戸の阿南夫妻、塩田さんと友人らで16人。
宿泊は当然ビラビンタンだけでは収まらないので、隣接するビンタン・プソナ、ビンタン・パリに分宿した。滞在日程は2班ともほぼ同じ。手元に第2班の日程表が残っていたので書き写す。
第1日=空港お迎え。車でビラビンタンへ。カフェ・ビンタンで歓迎夕食会。反省会の後就寝。
第2日=朝の散歩。朝食後滞在手続き。街へ出てルピアに両替。ネカ美術館で絵画、彫刻鑑賞。郊外のカンプンカフェで昼食。午後王宮、市場の散策。夕方ケチャダンスを見て、夕食はベベブンギルでアヒル料理。
第3日=午前中、インドネシア独立戦争英雄墓地。旧日本兵の墓も。マルガラナにある残留日本兵の像も見る。デンパサールで昼食後、パリの父・三浦襄翁の墓参り。ジンバラン海岸で魚料理の夕食。
第4日=昼飯含め午前中は各自選択コース。①川下り(ラフティング)、②モンキーフォレスト、③キンタマーニ高原の温泉プール。午後3時にビラビンタンに帰り、ヒンズーの正装をして村のお祭りへ。
第5日=夕方まで自由行動(スーパーでおみやげなどの買い物。マッサージ・エステ。コテージのベランダで昼寝など)。6時半からミーティングルーム前の庭で日・パリ交流パーティ。
第6日=午後3時頃まで自由行動。昼食はカフェ・ビンタンで天ぷらそば。チェックアウトしてビラビンタンにお別れ。クタで夕食をとり、デンパサール空港へ。深夜便でひと眠りして朝7時に成田着。
長いと思った2週間もあっという間だった。それにしてもよく飲んだな。インドネシアは長い間オランダの植民地だった。地元のビンタンビールはハイネッケンと同じ製造法だという。これがうまい。ワインはスーパーに行くとフランスやイタリアのが売っているが、やたらと高い。パリワインならボトル1000円くらいだ。椰子でつくった地酒のアラックは40度もあるからよほど薄めないと昏倒する。
パリに残留し独立戦争に加わった旧日本兵の像やお墓があるとは知らなかった。敗戦直後、インドネシア独立の約策を果たせなかったとしてピストル自殺した三浦襄翁の逸話も強い印象が残った。