戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)

メーデー、60年ぶりの不参加 17/05/01

明日へのうたより転載

 今日は第88回中央メーデー。朝から爽やかな五月晴れだ。もっともお昼頃から天気は不安定になり、雷、突風の惧れもあるという。おれは1958年の第29回中央メーデーから何らかの形でずっと参加してきたが、今年は例の腰痛で残念ながら断念した。おれのメーデー参加歴を振り返ってみたい。

 おれが初めてメーデーに参加した頃は、神宮外苑の絵画館前だった。その後芝公園での開催もあったと思う。60年代初めからは代々木公園に定着した。当時は統一メーデーで、労働4団体や純中立労組もこぞって集まった。デモコースは青山―国会前―新橋までで、6キロはあった。あまりの人数に行進はのろのろで、解散地点の新橋へ着くのは夕方になった。駅前の立ち飲みのビールの旨かったこと。

 統一メーデーは88年の第59回まで続いた。89年に総評解体、連合、全労連発足。そのあおりで分裂メーデーになった。メィン会場の代々木公園は連合に取られて、全労連系は江東区の辰巳緑公演に追いやられた。新聞労連は朝日や読売が全労連メーデーを嫌って不参加。おれが委員長を務める東京地連は組織決定して辰巳緑公園に参加した。参加者はそれまでの1000人から300人に減った。

 その後、全労連系メーデーは90年の夢の島公園を経て、91年からは亀戸中央公園に。毎年代々木公園使用を申し込むのだが都の不当な連合優先措置で認められなかった。デモコースはいくつかあったが、おれたちは浅草終点が多かった。お好み焼きや天ぷら屋での打ち上げ会は結構楽しかった。

 98年はフランスのパリメーデーに参加した。CGTと一部中立系の隊列に参加、リパブリック広場からナシオンまで3時間かけて行進した。こちらも労働団体ごとの分裂メーデーだったが、解散地点は同じように組まれているらしい。解散後のビールで乾杯風景は日本と同じ。屋外テラスで気勢をあげていた。

 連合がメーデー開催日を大型連休最初の休日(今年も4月28日だった)と決めたおかげで、01年からは全労連系が代々木公園でできるようになった。世界的にメーデーは5月1日だと思うんだがね。

 02年に松戸市長選に立候補した関係で、02年から05年まで4年間は松戸メーデーへの参加だった。午後2時から西口公園で集会を開き、デモコースも1キロほど。駅東口で解散し年金者組合の人たちと居酒屋庄屋で懇親会。都内へ出るより数倍楽ちんだがやはりちょっと物足りない。

 05年に新聞OB会代表委員に選出されたこともあって、06年以降は代々木公園の中央メーデーに参加してきた。それが今年途切れた。ああこれで「おれのメーデー」も終わりなのかな。