戸塚章介(元東京都労働委員会労働者委員)
8日午後3時、朝から続いていた土砂降りの雨がやっと上がった。まだ日が射すところまでいかないが、空が何となく明るくなってきた。一行のうち4人は光森さんの案内で美術館巡りに出かけたが、おれは辞退した。同じくコテージで絵を描くため残った山川さんが昼食に蕎麦を茹でてくれた。ビールを飲みながら降りしきる雨の中で蕎麦をすすったがこれが美味かった。薬味のネギも持ってきたとはさすがだ。
ひと眠りして目が覚めたら人の声がする。ミーティングルームに美術館組がいた。美術館が雨漏りしていたそうだ。河合さんが「スト―さんが来てるよ」というのでスタッフの溜まり場に行ったら、以前よりさらに肥ったスト―さんが「やあ」と言って手を差し出した。スト―さんは5年ほど務めたこの村の村長さんを退任したばかり。村長時代に、古くなったお寺の改築を何千万円かで完成させた実績を残した。
古いスタッフのスト―さんとはいろいろ思い出がある。あれは7~8年前だったと思うが、キンタマーニ高原の温泉プールに行った。おれたちの車のドライバーがスト―さん。高原の帰り道で果物の王様といわれるドリアンを売っていた。何個か買ったら試食させてくれた。よせばいいのにおれも一切れ食べた。
昼飯でおれはひとの分までビールを飲んでる。そこへドリアンを食ったものだからすぐに下痢症状がやってきた。「スト―さんその辺で止めて」と叫んだ。彼が適当な草むらのあるところで止めてくれた。おれはぱっと座って寸前で間に合った。この辺の草は育ちがいいよと言ってテレ笑いした覚えがある。
それからすぐスト―さんは住人の選挙で村長さんに選ばれた。立候補したわけではないのに勝手に票が集まったと本人は言っていた。2011年東日本大震災の年の7月、孫たちとウブドへ来た。ちょうどガルンガンでお寺でお祈りをした後、スト―さんの家でお祝いのご馳走をいただいた。入り口は狭いが奥行き長い立派な家だった。親戚や光森さん関係の観光客など大勢で楽しく語らいながらの食事だった。
それからさらに何年か後、この時も何かのお祭りに出くわした。村の集会所で男どもがお祭り用の料理づくりをしていた。ハンドマイクを片手に進行の指揮をしていたのが村長のスト―さん。焼き鳥の串を刺したり、炭火で焼いたり、野菜を刻んだり、男たちは指示通りに動いていた。いつも見るスト―さんと違って威厳と貫禄があった。――さあ今夜は日本人が経営する寿司屋で魚料理だという。楽しみだ。